ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落210 [2022-02-15]

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.

210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。

【解説】 著者が述べていることは、私達(エゴ)がこれまで造り上げてしまった心による迷いや恐怖の森から抜け出す為に、その森に時々差し込む意識の導きの光に頼ろうとはせず結局は臼嫌い森の中で生涯を終える人々が多いこと、そのことを十分に自覚し、目的に向かって歩んでいく必要があるということでしょう。 前項に関連して申し上げれば「一灯を頼め」という言葉がある訳ですが、本項ではそのように自らを頼んで目に進んでいく中で天井から導きの光が指して来ること表現されているのです。 私達は決して暗闇に戻るべきではありませんし、光の子として堂々と明るい世界にこそ自らの拠り所を置かなければならないということです。

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