ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落209 [2022-02-14]

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos.
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。

【解説】 私達が迷っているのは、こうした自分自身の心の迷いに原因があり、日々増長する状況の中で自ら造り出した迷いの世界の中を放浪しているということでしょう。通常、このような状況を暗闇の世界と称していますが、その中を一つの提灯をさげて行くのが私達自身だということかも知れません。その際に参考とすべきは江戸時代の儒学者、佐藤一斉の言葉「一灯をさげて暗夜を行く。暗夜を憂うことなかれ、一灯を頼め」という言葉でしょう。 よく”世の光”その他、世間を闇夜に例える中で、その迷いの世界を照らす光としてイエスの教え、仏陀の教えが例えられますが、佐藤一斉の言葉の中にも各自が自ら確かめた真理を拠り所として独り進めと説いているように思います。一人一人が自らの闇に対して理解して身に付けた真理の燈明を掲げて前に薦めと諭しているように思うのです。ちなみにアダムスキー氏の著作「宇宙哲学」の表紙には松明の図案が掲げられています。

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