ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落203 [2022-02-03]

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.

203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるという確信をもたらすことでしょう。

【解説】 ここからは各自の体験に属する繊細なお話になるかと思います。 通常、私達のエゴ(心)は何事も自慢したがる為、時として訪れる宇宙を源泉とするアイデアもその取扱を誤って本来の当てはめるべき場所から外れた所に応用しうまく行かないという事例もあるものです。 生まれたアイデアを何処に適用すべきかは大変重要で、本来適用すべき所に応用しなければ所定の降下は発揮できるものではありません。 そういう意味では、私達は例えアイデアを受信してもその応用を心に任せてはならず、冷静に状況を見極めて、発言すべきであり、有頂天になってはならないのです。むしろこれから起こり得る現象を現実より先に見ることができたとしても、その光景を他人の興味を引く手段として話すのは控えるべきでしょう。むしろ、将来起こりつつあるいわば因の世界で進行しつつある傾向から、人々を回避させる為にその与えられた知識を活用すべきと言えるでしょう。聖書の黙示録その他の予言書はこうした観点から残された書物だと考えています。

第05課 段落202 [2022-02-02] <<  |  >> 第05課 段落204 [2022-02-04]