ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落050 [2021-06-17]


050 Jesus said a double minded man is unsuitable in all of his ways. And it is double minded when one sense likes something and the other does not. So Jesus urged man to be single minded in all of his ways. In other words unite all four senses for the purpose of service and not judgment. And this can only be done by conscious guidance. For in consciousness there are no likes or dislikes, it understands the purpose for all manifestation but the mind does not. All manifestations are conceived in consciousness and born into the world of effects. Just as the mind was conceived in consciousness and born as an effect of that conception. This is why it is so easy for the mind to guide itself by effects. And not having the knowledge and the reason for all of the effects it passes judgment in either likes or dislikes.
050 イエスは二心ある者は全ての道において不向きだと言いました。そしてひとつの感覚がある物を好み、他の感覚が好まない時、二心となるのです。それゆえ、イエスは人に全ての道において心一つになるように求めたのです。言い換えれば、裁きではなく、奉仕の目的の為に4つの感覚を統合せよということです。そしてこれは意識の導きによってのみ為され得るのです。何故なら、意識の中では好きとか嫌いとかが無く、全ての創造物(注:manifestation)にとっての目的を理解していますが、心はそうではないからです。全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます。丁度、心が意識の中ではらまれ、その結果として生まれるのと同様です。これが心が自分を結果によって導くことをそのように容易になる理由です。そして心は結果物の全てについての知識や理由を知らないが故に、好き嫌いの判定を下しているのです。




【解説】
人間の迷いその他の葛藤とは私達の心の中に正逆反対方向の意見があり、主人公としての私たちがどのどちらに従ったらよいか分からず、立往生しているような状況と言えるでしょう。それをイエスは”二心ある者”と表現したのです。
結局はそれらの葛藤とは私達の心の構成員間の意見の相違であり、各々が互いに異なる方向を指し示していることに他なりません。その根拠は各々にあると思われますが、それもそれら構成員が各々の結果(物)に根ざしている為に起こると言えます。もちろん結果物はその時々の事情により大きく異なる結果をもたらすため、単に結果(物)を頼っていては右往左往するだけだと考えます。
それに引き換え、物事を生み出す場とも言える意識状態の中では絶えず想念が宇宙的調和の中に飛び交っており、その振動と共鳴協調している限り、宇宙的存在を保つことが出来る訳です。言い換えれば私達は物質世界ではなく、こうした目に見えない宇宙的空間、創造世界にこそ拠り所を置く必要があるのです。



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