ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章 段落212 [2021-02-25]


212 There are no descendants of the Triterians, for they served their destined time on this planet earth and were transferred by space craft to another solar system. This is the race which dwelt upon the earth prior to the Biblical records. The fall of man was not brought about until the advent of the Lemurian race. The Triterians left the earth in a virgin state and went on for greater service, but all of the races who followed them are still endeavoring to regain their cosmic birthright. The Triterians worked with the cosmos through intuition and obedience; the other races have chosen to gain their perception through suffering and the observation of effects; living in the bondage of mortal concepts.
212 今日、トリテリア人達の末裔は居ません。何故なら彼らはこの惑星地球における彼らの定められた時間を勤め、別の太陽系に運ばれたからです。これは聖書の記録以前に地球に住んでいた民族です。レムリア族の出現までは人間の堕落はなかったのです。トリテリア人達は地球を原初の状態にして立ち去り、より大いなる奉仕の為に進んで行きましたが、彼らの後に続く全ての種族は未だに自分達の生まれながらの宇宙的な権利を取り戻そうともがいています。トリテリア人達は直観と従順さを通じて宇宙とともに働きましたが、他の種族は自らの認識を労苦と結果の観察を通じて得ることを選択し、死すべき概念の束縛の中に生きているのです。




【解説】
本項の記述からはトリテリアの民は計画的に地球に移住させられた後、再び別の惑星に移される等、私達をより高次な立場から司るスペースプログラムとも言うべき支援の中で、本来の進化の道を辿って行ったことが示唆されています。
即ち聖書時代のアダムとイブも含めて現代文明の私達も元はと言えば進化のステージとして地球に派遣された一族に過ぎず、またその進化の段階や抱える状況等について絶えず宇宙から観察(モニタリング)されていることになる訳です。
そう考えると1952年11月20日、アダムスキー氏がデザートセンターで他惑星人と会見した以降の一連の宇宙人との交流は、こうした観察の結果、地球人に来るべき時代に備えて、必要な知識を与える為に例外的に施されたスペースプログラムからの貴重な機会であったことが分かります。


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