200 Their architecture and works of art were magnificent in structure and beauty. Their temples were not so much for worship as they were a monument of beauty dedicated to the All-Power whom they served in their daily actions. For these ancient people needed no temple in which to worship - they recognized the All-Being dwelling in themselves and in every form of life upon the earth. Their idealism in the beginning was the virtue of God which was meant to be expressed in man, and because of this idealism they were bestowed with powers unknown to man today. The Lemurians did not abuse or misuse the laws of nature and while they were building up their empire it was an actual heaven upon earth. But like practically all civilizations they had their downfall in time. Virtue became lost in greed and selfishness, and towards the end of their existence they were no different than the present civilization. At last nature took a hand and sunk the land beneath the waters of the Pacific ocean.
200 彼らお建築と美術作品は構造や美しさにおいて壮麗なものでした。彼らの寺院は彼らが日常行動において仕える全能者に捧げられた美の記念塔であった為、拝礼の為ということではありませんでした。何故ならこれら太古の人々は中に入って拝礼する寺院は必要無かったからです。彼ら自身及び地上のあらゆる生命体の中に全能者が住んでいることを認識していたのです。初期における彼らの理想主義は人間に表現されるべき神の徳目でありましたし、この理想主義により、彼らは今日の人間には知られていない諸々の力を授けられていました。レムリア人達は自然の諸法則を乱用したり誤用することはありませんでしたし、彼らがその王国を建設している間、それは地上における本当の天国でした。しかし、実際には全ての文明と同様、やがて没落の時を迎えました。徳目は利己主義の中に失われ、彼らの存在の終り近くには、彼らは今日の文明と何ら変わりなくなりました。遂には自然は手を挙げてその大陸を太平洋の水の下に沈めたのです。
【解説】
レムリアの初期はかくも美しく優れた文明であったということです。しかし、次第に人間の堕落が進み、最後は現代の地球文明と同様、欲望の末に、創造主の手により、滅ぼされてしまったという訳です。
こうした太古の文明が滅んだことへの人々の記憶は、エデンの園をはじめとする太古のユートピアにおける堕落した人達の物語として私達にわずかに伝わっているだけです。旧約聖書にはノアの箱舟の話がありますが、これも地面が水没する中でノアの家族だけが創造主の導きにより箱舟を建造して生還したということでしょう。
私達にとって重要なことは、私達自身もこれらレムリア等の太古の文明の終末と似た段階にあると著者が示唆していることです。即ち、いつまでも自然や宇宙が地球人の堕落を見過ごすことはなく、遂には地上から一掃されるような地殻変動に私達も近づいていることに留意すべきなのです。
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