ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第10章 段落111 [2020-09-18]


111 How often quoted is the expression of the Christ, "If ye have faith as a grain of mustard seed ye shall say to this mountain, remove hence to yonder place, and it shall remove; and nothing shall be impossible to you." (Matthew 17:20) This statement has been used to show how little faith is necessary to bring forth manifestation. Notice, however, that the words are not "faith as great as a grain of mustard seed" but "faith as a grain of mustard seed." Not the quantity of faith but the quality of faith is called to note in this statement. Let us study the consciousness of the mustard seed. Is it ever overcome with fear in regard to its personal existence? What causes it to grow? Is it not the conscious impulse force within it which promotes it into action? The seed knows nothing but this urge within itself which causes it to expand, burst its shell and proceed upward into the light. It does not seek to resist this force of natural growth nor does it wonder if it is right to act in this manner. It acts unquestioningly according to the law or principle of its purpose. It does not look to effects - neither to man, to earth, water, or sun. It expands into a mature bush because the forces within it command it into such growth.
111 これまで何回、キリストのこの表現が引用されたことでしょう。「もし、汝に一粒のカラシ種ほどの信仰があれば、この山に対し、ここからあそこの場所に移れと言えば、その山は移るであろう。貴方に不可能だというものはない。」(マタイ17:20)。この表現は創造作用をもたらすのに、如何に小さな信仰が必要なだけであるかを示すため、用いられて来ました。しかし、それらの言葉は「カラシ種一粒の大きさの信仰」ではなく、「一粒のカラシ種ほどの信仰」としているのです。信仰の量ではなく信仰の質がこの声明の中で求められていることに注意して欲しいのです。カラシの種の意識を研究して見ましょう。それはその個人的な存在に関して恐怖に打ち負かされているということはないのです。何がそれを成長させるのでしょうか。それを行動に突き動かすのはその種の中の意識的衝動ではないでしょうか。種は自分の中にあるこの衝動しか知っておらず、それが膨張し、殻を弾けさせ、光に向かって上方に進み出します。それは成長のこの力に抵抗しようとはせず、またこのように行動することが正しいかどうか迷うことはありません。それは法則あるいはその目的の為の原理に沿って、疑問を持つことなく行動します。それは人間、地面、水や太陽に対する影響を見てはいません。内部の諸々の力がそのような成長を命じる故に、成長した茂みになるのです。




【解説】
私達も含めあらゆる動植物が本来、持つべき創造主への信頼(信仰)について、本項で説かれています。イエスが説いた”カラシ種ほどの信仰”とはその小さな植物の種にあっても、芽を出し生長する上で糧となる意識は因への信頼であり、その強さは私達の比ではありません。山をも動かす程のゆるぎないものであるのです。
それに比べて私達の信仰は実に不安定なものではないでしょうか。少し目先の状況が変化したことによっても私達は見通しを大きく乱し、混乱を呈してしまうのです。
これに対して、私達が身に付けなければならないもの、人知れず心に留め置くものとして、目に見えない者、因への信頼があると考えます。不安定な結果の世界に囚われることなく、宇宙を流れる目に見えない法則に軸足を置くことが状況を望ましい方向に導くことになるからです。


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