ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第10章 段落110 [2020-09-17]


110 If we analyze fear we will find it to be produced by a state of wondering in regard to our support and safety. In most every case fear is focalized about one's personal being or self-interest. Most men look upon the activities of life in the light of the effect that they will have upon themselves and those dear to them. They are living in the consciousness of the effective world, depending upon outer things for their support, and the recognition of the instability of outer effects produces a condition of uncertainty within their own minds. We may say then, that fear is the self-centered state and faith is living the impersonal state of being. Fear is based on effects; faith is based on Principle or Cause.
110 もし私達が恐怖を分析すれば、私達はそれが私達への支持と安全に関する不安状態によって作り出されることを発見するでしょう。ほとんどの場合、恐怖は自分の個人的な存在か自身の関心に焦点が当てられています。ほとんどの人達は、それらが自分自身や自分達にとって大切なものに与える影響という光で人生の活動を見ています。彼らは結果の世界の意識で生きており、自分達の支えを外側の物事に頼り、外側の結果物の不安定さの認識が心の中に不安定な状況を作り出しています。ですから私達は恐怖とは自己中心の状況であり、信仰とは非個人的な状態と言うことが出来ます。恐怖は結果に基づくものであり、信仰は法則、即ち因によっているのです。




【解説】
確かにあらゆる場面を考えて自分に降りかかる障害の可能性を懸念して私達は普段から生きているように思います。ましてや競争社会にあっては世の中で生きて行くことは不安やストレスが貯まる傾向になるものです。また、昨今では新型コロナウィルスから如何に身を守るか等、多くの人は気が休まる時がないのではないでしょうか。
もちろん、こうした心配事は危機管理の上からは事前に危険を予測する意味で大事なのですが、問題は過度に私達の心は恐れがちになることで、その行き着く先は身体にも変調を来たし、食事も摂れなくなる事態に追い込まれる場合もあるのです。
問題はこうした不安や恐怖の心境がその人の未来、因の世界までにも影響を及ぼすようになり、次々に悪循環の輪に入り込んでしまうことです。
このように不安や恐れは何一つ事態を解決しませんし、私達に良いことをもたらすことはないことを先ず理解する必要があるでしょう。その上で私達は結果のみを見て嘆くのではなく、自ら明るい想念・印象を心に取り入れて、自らの肉体細胞を良質な振動を発するようにしなければなりません。その為には、生命は一体、誰に支えられているかを良く調べ、その力の源泉に回帰する以外に方法はありません。しかし、こうした状況を乗り越えた末に気楽な暮らし、他力本願の心境が生まれたとすれば、それは何よりもかけがえのないものとなる筈です。


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