ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第08章 段落087 [2020-08-17]


087 We have looked upon ourselves as a five sense being possessing the attributes of sight, hearing, taste, smell, and feeling or touch. We have drifted along idly contenting ourselves with this analysis of our makeup, but recently we have become quite curious to know just how these senses work and what they are. In our seeking we have run our craft upon a rock. We have been unable to account for certain elements of action which we have encountered in our daily lives and so to relieve the tension of this uncertainty some of our most learned theorists have endowed us with a sixth sense. To this added sense has been attributed all the phenomena that have been unexplainable in the five sense man. In fact there have been those who have sought to add a seventh sense. The mortal mind seems to have a faculty for complicating that which is very simple and thereby creating confusion instead of understanding.
087 私達は自分自身を、視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚ないし感触の5つの感覚の属性を持つ存在として見なして来ました。私達は私達の成り立ちをこの分析で無益に満足したまま漂って来ましたが、最近になって私達はこれらの感覚の作用がどのように行なわれるか、またそれらは何であるかについて大いに知りたいと思うようになりました。私達のこの探求の中で私達は自らの乗り物を岩に乗り上げてしまいました。私達は私達の日常生活の中で出会ったある種の行動の要素を説明することが出来なかった訳であり、この不確かさの緊張を和らげるために、私達の最も学識のある理論学者達は私達に第6番目の感覚を授けたのでした。この付け加えられた感覚に5つの感覚の人間となる説明不可能な全ての現象が割り当てられました。本当は第7番目の感覚を追加した人達もいたのです。死すべき人間の心は、とても単純な物事を複雑にする才能があるようで、これにより理解の代わりに混乱を創りだしています。




【解説】
私達そのものが何であるかについて、私達はあまり良く考えたことはありません。そもそも私達が何を指針として生きているか、私達自身は何者であるか等、思いもしないまま生涯を送っています。
その結果、多くは年齢を重ねるとともに習慣性のワダチから抜け出ることなく、退化の道を下って行くということです。
しかし、それで良いのかという疑問も残ります。そもそも私達がこの世に誕生した意味は何か、私の果たすべき役割を十分に勤めて来たかを顧みる時、自然と反省の念が起こるものです。
本項はそうした中でも私達自身が何に頼って生きて来たかについて、振り返ることを私達に求めています。既に前講座「テレパシー」の中で私達は自身が四つの感覚に支配されていることを学びました。つまり私達の日常はこれら四感覚の騒ぎに身を委ねる中でより本質な感受性、想念波動への鋭敏性が失われつつある問題を学んできた訳で、ここで改めてその重要なポイントを復習することが求められています。つまり、視覚や聴覚、その他の感覚に拠らない真の感受性こそ万物と交流出来る基本感覚と言えるのです。



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