ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落367 [2020-03-12]

367 Another instance of perverted reasoning can be found in a group of students listening to a class lecture. Some will absorb what they hear, and at the end of the session will be able to repeat almost verbatim the material presented. They will recognize the logic and lucidity of the subject, and can summarize all points coherently.

367 もう一つの混乱した推論の例は、教室での授業に耳を傾けている学生の一団の中に見出せます。ある者は自分達が聴いたことを吸収し、授業時間の最後には提示された材料をほとんど語句を暗唱するほどになるでしょう。彼らはその本題の論理と明瞭さを認識し、全ての要点を理路整然と要約することが出来るようになります。

【解説】 本項は正しい"reasoning"の在り方について記しています。本項及び次項は学生時代によく経験するものですが、授業に当たって有益な知見を得るのはどちらの学生であるかということです。 本項では学生は教師の教えを正しく理解し、身に付けることが出来る訳ですが、それでも自らそれらの教えの一つ一つの流れをチェックし、各々納得して自分の知識として記憶することでしょう。 重要なことは、単に鵜呑みにすることなく、自分の理解力で納得しながら教えられる知識を自分の一部にすることです。このことは宇宙からやって来る想念・印象についても同様であり、一連の印象の流れに従いながら、それら一つ一つを確認し、自分のものとすることです。

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