ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落366 [2020-03-11]

366 In the preceding illustration we may safely say that after a certain point, reasoning was not used at all. When this happens it is usually due either to an untrained will, or to just pure mental laziness. Admittedly it is a ludicrous example, but similar examples on a smaller scale occur in our lives daily. Controlling the reasoning mind is what we meant when we spoke of "stilling" it. If we will make it our servant rather than our master, we will not put rockers on our baby carriage of life.

366 前述の事例では、ある時点以降、推論は全く使われていなかったと言えると思います。このようなことが起る時は、大抵は訓練されていない意思であったり、単に単純な心の怠慢のどちらかが原因です。前述の例は明らかに滑稽な事例ではありますが、同様な例は私達の生活の中ではより小さな規模で日々起っているのです。推論する心を制御するということは、私達がそれを「鎮める」と表現する際に意図するものです。もし、私達が心を主人としてではなく、召使にするようになれば、私達は人生の乳母車に揺れ足をつけるようなことはなくなるでしょう。


【解説】 想念・印象類に関する一連のつながりをチェックすることは大切です。それが無いとやがて出会う膨大な数の印象類の中でどれを採れば良いか、また自分が乗っている想念波動が適したものであるかどうか、分からずに進むことになるからです。 しかし、このチェック("reasoning")が過度になると、心が横暴になって来る訳で、その統制が必要なのです。心を鎮めることが重要であり、何よりもその機能を統制下に置きながら働かせるということでしょう。本文中の”心を主人でなく召使にする”とはそのことを説いているのです。

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