ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落353 [2020-02-20]

353 Through millions of years of evolution, man is endowed with physical senses and a faculty for reasoning; and he has come to depend solely upon these avenues of perception. But what of nature? Does it possess the faculty of reasoning? Is it endowed with the organs of sight and hearing, taste and smell? Does the tiny seedling germinating in the warm, dark bosom of the earth use recognized sense perceptions to decide which chemicals to extract, and which to reject for proper growth?353 何百万年もの進化の間、人間は肉体の諸感覚と論証の能力を授けられて来ており、これらの知覚経路のみに依存するようになりました。しかし、自然はどうでしょうか。自然は論証能力を持っているでしょうか。視覚や聴覚、味覚や嗅覚を授けられているでしょうか。大地の暖かく暗い懐の中で芽を出している小さな種は、適切な成長の為にどの化学成分を抽出しどれを拒絶するかを決定する為に感覚による知覚を用いるでしょうか。


【解説】 私達人間が長年の感覚依存の生活の結果、今日ではそれら既存の感覚が全てを支配してしまった問題を、本項は指摘しています。本来はあくまで参考にすべき経路に対し、それらに全面的に依存することになった点を問題視しているのです。 確かに自然界の他の生きもの達は論理的ではなく、その全てを本能とも呼べる直観で行っています。しかしそれらの能力は言葉を用いずともそれぞれの子孫に伝承され、何一つ困ることはありません。まして魚や昆虫などは、親から教わることもなく、独りで生き、成長して行くのです。 これらの能力こそ、私達が学ぶべきものであり、自然の中に私達が教師とすべき生きもの達の生きる姿が数多くあるのです。本項は私達にとって必要な能力について改めて考えるよう促していると言っても良いでしょう。

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