ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落323 [2020-01-07]

323 This experience was a case of unintentional telepathy. Certainly, the manager had no intention of broadcasting his dishonest thoughts; and undoubtedly believed them carefully guarded from the world. Because of his perfect assurance in the integrity of the man he had left in charge, the head of the firm, the person most closely concerned in the affair, was not receptive to the thoughts of mismanagement. But I, who was receptive to all thought vibrations in an impersonal way, received the thought. As it came to my mind, I recognized it was pertaining to my friend, and thereby saved him much future difficulty.

323 この体験は非意図的テレパシーの一例でした。確かにその支配人は自分の不誠実な意図を広めようとするような意志は全く無かった訳であり、疑いなくそれらを世間から注意深く隠していたものと思われます。その友人が会社の首脳として後に残したその人物の持つ有能さに完全な確信を持っていたため、そのことに最も高い関心を持っていたその人物は、その経営の失敗についての想念を受容出来なかったのです。しかし、非個人的になって全ての想念波動に受容的であった私は、その想念を受信しました。それが私の心に来た時、私はそれが私の友人に関係していることに気付き、そうして彼を将来のより大きな困難から救ったのです。



【解説】 想念波は隠すことは出来ません。更に言えば、発した本人が忘れていても鋭敏な人にはそれを感知する能力があるのです。これについては同乗記等の中で他惑星人がアダムスキー氏本人が忘れていたような想いを容易に指摘していたことからも分かります。おそらく、前項解説で述べたように発した本人が気づかなくてもしばらくの間、想念波は発した本人に残留していると考えられます。 いずれにしても、高度に進化を遂げた者は、こうした精妙な想念波について鋭敏であり、一面識のない者であっても、案件について真相を指摘することが可能だということでしょう。相談者の話を聞く中で、或は相談の手紙を読む中で「相談者が訴える状況をその場に居るような現実感で理解するような一体感を持つのかも知れません。想念・印象の世界は言いつくろいや隠し事が無く、全てがオープンという訳です。

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