ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落301 [2019-11-29]


301 Now the question will arise: How is conversational privacy possible under these circumstances? I believe a good illustration of this occurred during a lecture I once gave. I had just finished explaining how the images and voices came silently to the mind, when a man in the audience rose and interrupted, saying he heard voices speaking distinctly. He was very insistent that these were audible, and his reception was not in the least silent. I then asked him, "If I were standing beside you, would I hear the same voices?"
301 そうなると質問が起るでしょう。このような環境の下では会話の秘密は可能となるのでしょうか?私としてはかつて私が行ったレクチャーの間に起ったことが良い例かと思っています。私が丁度、イメージや音声が無言のまま如何にして心にやって来るかの説明を終えた時、聴衆の中の一人の男が立ち上がって自分は明瞭に聞こえる声を聞いたと言って、私の話をさえぎりました。その男性はこれらは耳に聞こえるものであると主張し、自分の受信したものは少しも無言ではなかったと主張しました。私はそれで、「もし、私が貴方の脇に立っていたとすれば、私はその同じ声を聞けたでしょうか?」と彼に尋ねました。




【解説】
感受した想念・印象が強い程、受信した者は音声や映像としてそれらを認識出来るということでしょう。いわゆる”啓示”や”お告げ”その他の現象は、そのことを示しています。また、多くの宗教家が主張する”天の声”もこうした現象のように思われます。
私達は日々互いに想念を発していますが、それらはまだ未熟で純粋でない為に、十分な力を有していないと考えるべきでしょう。送る側も受け取る側も未発達の状態なのです。
こうした中、私達は心を穏やかに保ち、やってくるインスピレーションに常に備える態勢が重要であり、心の中から雑念が排除されれば、受け入れた想念・印象は鮮やかに認識できるようになることでしょう。



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