ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落286 [2019-11-08]


286 More than once I have heard the remark: "Oh, I was in such a beautiful state of relaxation. I was barely conscious of having a body, and my mind was simply a blank!" That is not relaxation. It is merely a state of lethargic indifference; and has almost no constructive value. When a person is truly relaxed his body feels tremendously "alive," and thoughts pass through his consciousness at such a high rate of speed it may seem to him afterwards that he has lived years in a few moments. Relaxation is the releasing of personal desire to the natural sequence of relativity, or continuity of thought; and the person has normal, unbiased interest in everything while in this state.
286 一度ならず私はこうした発言を耳にしたことがあります。「そう、私はとても素晴らしくリラックスしたことがあった。ほとんど自分が肉体を意識することなく、心もまっさらな状態だった。」しかし、これはリラクゼーションではありません。それは単なる無気力で無関心の状態でしかなく、建設的な価値はほとんどありません。人が真にリラックスしている時は、自分の肉体はとてつもなく「生き生き」感じ、想念は本人の意識の中を非常な高速度で通過する為、後でわずかの時間に何年間も過ごしたような感じをその者に与えます。リラクゼーションとは個人的な願望を人の手を加えない一連の関連性の流れ、即ち想念の連続性に解放することであり、その時、人はこの状態の中にあって、あらゆるものに先入観の無い関心を抱いているのです。




【解説】
本項は私達が目指すべき心境を明示しています。
従来、私達は肉体を静置させ、心を無気力にすることがリラックスだとして来ましたが、真のリラックスとは随分と活発な状態を指すというところに着目しなければなりません。私達生命体の本来の姿はこのような静置状態ではなく、もっと活動的な状態であるということです。
これまで私達は仏教で言う”悟り”(Enlightenment)を目指して来ましたが、これこそがその状態であると言うべきでしょう。肉体的には過度な行動状態ではなく、むしろ安静にしている状態かも知れませんが、その精神活動は活発です。本項で言うように短時間でもおびただしい数の想念が行き来する訳で、私達はその中でこれまでとは比較にならない穂との数の想念・印象と出会う訳で、その記憶量の大きさは、本文で言う短時間にも関わらず何年も過ごした程の記憶となる原因です。
感知する想念の数こそが私達の心身の状態を表すバロメーターと言えるかも知れません。充実した1日とはこのことを表しています。



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