ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 1章 段落250 [2019-09-12]


250 We would do well to ponder this ancient requirement, and incorporate a little of it into our lives today. Most of us are so busy imposing our opinions upon others, that we really do not listen to what they have to say. While others are presenting their side of the subject, our minds are so busy marshalling our own arguments to prove them wrong, that we do not hear more than a fraction of what is being said.
250 私達は古代のこの要件についてじっくり考え、今日の私達の生活にその少しを組み入れた方が良いでしょう。私達のほとんどは他の者達への自分達の意見を押し付けることに躍起になっており、私達は実際には他の者達が何を言おうとしているのかに耳を傾けてはいません。他の者達が課題に対する自分達の側面を提示している間に、私達の心はそれらの提示が誤りであることを示すべく、自分達の議論を先導しているだけで、私達は相手が話している事柄の一部しか聞いていないのです。




【解説】
本項が執筆されていたアメリカは民主主義、自由主義の国であり、各自自らの責任で全ての生き方や選択を自分の意思でよって行われるといっても良いでしょう。しかしその一方で自己主張しないと人格が認められない風潮があるのかも知れません。
とりわけ最近では日本でも盛んに行われるようになったものに、ディベートがあります。互いに異なる意見を戦わせて、勝敗を決めるものです。そこでの内容は、本項の中身そのものです。こうした中、各人の自我は自分の主張、自我の主張を強める訳です。
しかし、テレパシー訓練はこれとは真逆の方向で自身を訓練せよと言っているのです。これらディベートは政治家の討論会でも同じであり、物事の真の解決にはならず、互いの溝を深めるだけとなっています。このように私達の身の回りには、本項で指摘されているような事例は数多くあると思われますし、私達はこれらを観察する一方、これらの中にある課題に注意する必要があるのです。


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