ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 1章 段落249 [2019-09-11]


Part
V
CHAPTER I
Control of the Ego
249 In olden times, teachers of philosophy demanded strict adherence to certain disciplines of body and mind before they would accept a pupil. They did this because they knew that if a man could not control his sense mind and body-habits, he was not yet ready to receive higher instruction. Some great teachers demanded a five-year period of absolute silence from the pupil before they would even consider the possibility of instructing him. This may seem drastic to us today, yet it served a two-fold purpose. The student learned self-control through not being able to participate in conversation around him; and the enforced role of an impartial listener made it possible for him to study and evaluate both sides of every question.
第3部
第1章 エゴを統制すること
249 古くは哲学の教師達は弟子を受け入れる前に肉体と心についてある種の訓練に厳密に従うことを要求したものです。教師達は、もしその者が感覚心や肉体の習慣を統制できなければ、より高次な教えを受ける準備が出来ていないことを知っている為、そうしたのです。偉大な教師の中には、その弟子を教えられるかを考える前に、その弟子から5年間の間、全くの沈黙を課した教師もいました。これは今日、私達にとっては過激に見えるかも知れませんが、それには二重の目的があったのです。弟子は自分の周囲の会話に参加出来ない為に、自己統制を学びましたし、また隔てない聞き役としての強いられた役割によって、すべての問いに対する両方の側について学び、評価することが可能となったのです。





【解説】
伝えられているところではアダムスキー氏は幼少期にチベットに連れて行かれ、そこで訓練を受けたとされています。自我を統制する為に行われたであろう様々な訓練について、本項で紹介されているのには、そうした背景があるのかも知れません。
これまでも多くの学習者は、とかくアダムスキー氏に関する自分が知る事柄を自慢し、また相手の意見に耳を傾けることなく、持論を述べるか、或いは新しい情報を求め続ける事例も多かったように思われます。
しかし、これらの場合、結局は本質を掴むことなく他人と意見をたがえ、再び自分の殻の中に戻ってしまうことも残念ながら多かったように思います。
これに対して、本来の私達の最大の課題は、アダムスキー氏でも他人でもなく、私達各自の自我、自分自身にある訳で、これを如何に攻略し、本来の姿に戻すのかにあるのです。この第3部第1課はこうした意味で各自の自我のコントロール(統制)の重要性について私達に説いているのです。



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