ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 2章 段落176 [2019-05-29]


176 Here is another example of how a worried mind affected the body cells to the point of physical breakdown. For twenty years a friend of mine had prided herself on being an immaculate housekeeper. In fact, her home was so "freshly-vacuumed" looking, both family and friends were never quite comfortable in it. While entertaining, she had an annoying habit of watching the ash trays, fairly snatching them out from under cigarettes so she could replace with clean ones. Her every move, every facial expression reflected nervous anxiety, making the atmosphere in the home vibrant with uneasy tension.
176 ここに心配しがちの心がどのようにして肉体細胞を物理的な崩壊点にまで影響を与えるかに関するもう一つの例があります。私の友人の一人は20年間にわたり、完璧な主婦であったと自慢していました。実際には彼女の家は余りにも「真新しく電気掃除機がかけられた」ように見える為、家族も友人達もその中では決して心地よくはありませんでした。興じている最中でも彼女はタバコの下から灰皿をひったくって新しいのと入れ替えられるよう、灰皿を凝視するイライラさせる癖がありました。彼女の一つ一つの動作や顔の表情は神経質な心配の念を投影しており、その家庭の雰囲気を落ち着かない緊張感でみなぎらせていました。



【解説】
本項はいわゆる”神経質”の正体は”恐れ”にあることを説いています。事例ではキレイ好きの主婦の話が記されていますが、話の主人公は他人の自分への評価を恐れて、本来のお客のもてなしの本質を忘れた行動をとっている訳です。
もちろん何かに集中し、熱中することは物事が何であれ大切なことです。しかし、この場合は客をもてなす上で何が大切なのかという点で、理解が出来ていないことが背景にあります。先ずは心からの歓迎とくつろいでいただきたいとする歓待の気持が何よりも優先するべきでしょう。
相手を快く受け入れ、自他の区別なく接することが接遇の基本かと思います。また、これら人との接する機会を通じて想念・印象の感受や発信について多くを学ぶことが出来ることも確かです。


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