ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 1章 段落160 [2019-05-06]


160 The Living Soul, given to man when the Creator breathed the breath of Life into his nostrils, does carry the True Book of Remembrance; but few who have lived, or are now living on earth, have as yet evolved in understanding to the place where they may read. True, on rare occasions we may be given a glimpse of a word here and there, and with understanding can interpret these correctly. But since most Earthlings have not yet learned sufficient control over the sense-mind, more than a brief glance cannot be vouchsafed them.
160 創造主が人の鼻の孔の中に生命の息を吹き込んだ時、人に与えられた生ける魂こそが真実の記憶の書を運んでいます。しかし、地球にこれまで生きて来た、あるいは現在生きている者で、その者達がそれを読み取る場所まで理解力を発展させた者は極くわずかです。真実の所は私達はまれにそこここで記載されている言葉の一瞥を与えられ、理解力により、これらを正しく解釈することが出来るかも知れません。しかし、ほとんどの地球人が感覚心に対する十分な支配を学び取っていない為に、わずかの一瞥以上のことを与えられることはないのです。



【解説】
実は私達がこの世に生を受け、呼吸を始めた時に与えられた「生ける魂」こそ、真の記憶を保持するものだと本項で著者は説いています。つまり、私達自身も、個々の原子と同様、あるいはそれ以上に各自の体験の記憶の集積体を誕生の度ごとに引き継いでいるということでしょう。
しかし、これら各自の記憶の書も残念ながら中身を見ることは現状、容易ではないのです。私達があまりに既存の感覚に支配されているために、それらに同調することが出来ずに居るという訳です。
このように私達自身が自分の生命本体の中に記憶を保持しており、死を迎えてもその先の転生に記憶が継承されるということなのです。テレパシー探求は私達自身を知ることでもあるのです。


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