ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 1章 段落150 [2019-04-16]


150 When man gives any thought to material substance, he is very likely to accept the image given to him by those organs of deception, the eyes, which hold to the solidity of matter; so he believes a vast difference exists between matter and space. Yet, in the laboratory we have discovered that form is not solid; but may be likened, as one writer expressed it, to a mass of soap bubbles.
150 人が物質的な物に何らかの想念を与えようとする時、人は欺く器官、即ち物質の固体性に執着する眼によって与えられたイメージを受け入れ易いものです。その結果、人は物体と空間とでは莫大なる差異があると信じているのです。しかし、それでも実験室で私達は形あるものは硬いものではなく、ある作家が表現したように、形あるものは石鹸の泡の塊に似ていると表現できることを発見しているのです。




【解説】
本項を極論すれば、私達が見ている全てのものには実体がない単なる泡のようなものだということです。既に私達は原子は太陽系のようなもので、中央の原子核に大部分の質量があり、その周囲を惑星と同様に電子が周回し、雲のように取り巻いている原子モデルを学んでいます。即ち、私達が触れているのは、この周囲の空域であるのです。
目には様々な色や形が見えますし、多様な変化を認める訳ですが、本質的にはこのような泡であり、そのほとんどが空間であるというのが真実の姿だということです。
このように本項で説かれている教えは、実は般若心経で説く"空"の概念と同じです。全てのものの本質は空間であるとするこれらの教えは源を一にしていることに私達は注視し、仏陀も同じ他惑星文明に起源を持つことに気付かなければなりません。


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