ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 4章 段落127 [2019-03-13]


127 Here is one more example of how help may be received unconsciously, which we all have experienced at some time; let us say our minds are struggling with a problem. We have studied it from every angle, and still the solution evades us. We may even be ready to give up . . . when, suddenly the answer is laid before us.
127 ここに如何にして援助が無意識の内に受信され得るかのもう一つの例があり、私達全てが時折、体験しているものです。それは、私達の心がある問題で奮闘しているとします。私達はそれをあらゆる角度から研究して来ましたが、未だに答えは我々をすり抜けています。私達もう諦めようとも思ったその時、突然にその答えが私達の前に置かれます。





【解説】
私達の多くは困った時にふと解決策がひらめいたり、誰かの助け舟が来たりした経験を持っていると思います。自分で考え模索して辿り着けなかった解決への道でしたが、私達の心がそれまでの自分の想念でいっぱいであった状態から、半ば諦めかけた結果できた隙間に新しいアイデアがようやく入り込めたという状況かと思われます。
とかく私達は自身の持ち物と同様、自分の習慣的想念を心に留めておく習性があります。これは仏教で言う執着と表現されている訳です。私達各々には所定の容量があり、それが満たされれば、他の要素は入り込むこともありません。それ故に当座重要でないものは捨て去ることが必要となるのです。
もちろん、捨て去るだけではダメで、その空いたスペース、軽くなった心に宇宙本来の上質な想念を導き、自由闊達な振動に自らを高め、本来の想念レベルに同調させることが必要なのです。


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