ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落078 [2018-12-13]


078 Here are a few examples of how the senses disagree. First, let us use this fanciful situation. In a hall seating a thousand people, imagine we have sensitized the floor to the degree where an insect falling upon it would register a sound loud enough to be heard by all; and to implant this information strongly in the minds of those present, we have conducted a number of experiments demonstrating the sensitivity of the floor. So if, by the trick of using heavily padded soles, we have a man walk down the aisle without producing the sound of accompanying footsteps, the following imaginary conversation might take place between our eyes and ears.



Eyes: "I see a man walking down the aisle."



Ears: "Impossible! I hear no sound."



Eyes: "But I tell You he is there. He's about half way down."



Ears: "It's your imagination. We both know how sensitive this floor is. I'd hear anyone walking down the aisle."
078 ここで各感覚が如何に互いに意見が合わないかを示す若干の例を挙げましょう。この空想上の状況を採用しましょう。千人の人々が着席しているホールの中で、一匹の虫がその上に落ちても全員に聞こえるようなだけの大きな音が記録されるような位に床の感度を高めたとして、その情報を強くそれらの人々に植え付ける為に、私達はその床の感度を実証する数多くの実験を行って来ました。そこでもし、靴底に厚い当て物をするというトリックを使って、一人の男に足取りに伴って発生する音を出すことなく、通路を歩かせたとすると、私達の目と耳の間で以下の想像上の会話がなされるかも知れません。
目:「通路を歩く一人の男が見える。」
耳:「有り得ない! 全く音がしていない。」
目:「しかし、言って置くが、その男はそこにいる。もう半分の所まで来ている。」
耳:「それはあなたの想像だ。私達二人共、如何にこの床の感度が高いか知っている。もし誰かがその通路を歩けば聞こえる筈だ。」




【解説】
本題とは少し離れてしまいますが、現代、私達の抱える大きな問題の一つにバーチャル(仮想世界)の問題があると考えております。擬似体験と言ってしまえば済む段階から、社会の隅々にまで浸透し現実と仮想の一体化が進んでいるように思われます。
特に問題だと思うのは、手に持つ小型のゲーム機で殺人や戦争ゲームに打ち込む若者が多いことです。これらはゲームの中で視覚・聴覚の上ではゲーム当事者は実際と同様な体験を得ることとなり、何人もの相手を倒し、破壊することで快感を得るという代物です。結局はゲームの世界に浸ることで自らも同様の体験を積むことになるのです。
これら体験はやがて本人の肉体細胞に記憶され、少しずつ人格を蝕むことになるのです。仮想ゲームの中での経験も現実世界の中にやがては影響を及ぼすことは避けられません。
こうした悪質なゲームによって青少年の精神性がどんどん蝕まれていることを危惧しています。当然、そうしたゲームによって彼らの精神性が粗雑で荒れたものになることは間違いないのです。こうしたゲーム産業は各感覚を融和・協調的なものとしたい私達とは真っ向から対立する勢力と言えるでしょう。



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