ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 2章 段落033 [2018-10-04]


033 In the early ages of human development, man had been content to accept the world in which he lived as a mere five-sense manifestation. But as he grew wiser, he noticed actions taking place about him that were difficult to explain-actions that seemed to transcend these powers of outer perception. Puzzled by what he beheld, yet having no physical sense to account for this phenomenon, he relegated it to a realm of his own invention.... the sixth sense!
He was then content (and still is), to consign everything not explained by his senses to this indefinable, mysterious plane.
033 人間の発達における初期の年代においては、人は自分が5感の創造物として生きているに過ぎない世界を受け入れて満足していました。しかし、成長して賢くなるにつれて、人は自分の周りに説明できない諸作用、即ちこれら外側の知覚力を超えるように見える作用が起っていることに気付きました。人は自分が見たものに当惑したものの、この現象を説明する物理的な感覚を持ち合わせていないことから、人はそれを自分の発明品の領分に追いやってしまいました。それが第6感です。人は自分の諸感覚では説明できないあらゆるものをこのはっきりしない、神秘の次元に委ねることに、これまでそして現在でも甘んじているのです。




【解説】
確かに"勘"と呼ぶような感覚に対して、私達はそれがどのように生まれるのか良く説明出来ません。おそらく現代風に言えば、脳の中の各記憶部位を巡る一連の関連付け作用の中で最も適した組み合わせが発見され、本人にとっては一瞬のヒラメキとして知覚するというような表現になるのかも知れません。しかし、それ以上のことは思いも呼ばないのです。
それらが特殊な能力であり、霊力であると古代の人々は思っていたことでしょう。一方、現代に生きる私達はそれを自分の5感以外の何か特殊な感覚が他にあると勘違いしてしまう傾向にあるということです。自らの想像を逞しくして、新たな感覚を造ろうとしましたが、それは根拠もなく、結局は神秘で終わるのです。
動物達が来るべき嵐や敵の来襲に備えるように、私達も本来、自然災害を避ける能力がある筈です。この一般には認知されていない予知能力もテレパシーの一つです。自ら進んでこれらの仕組みを探求することがテレパシー研究のあるべき姿です。



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