ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課 段落428 [2018-06-22]


428 That is why the Holy Writ says have no false gods before Me. For every form whether it be man or anything else has gone through many experiences and many changes. If we accept life eternal there is just as much eternity in the past as we look forth to in the future. That is why Jesus said, If I was of this world I would fight for it but I am not of this world. If he came to this world is it not logical that we all have come from someplace else? For He made it plain that in the Father's House are many Mansions. But the human mind as an effect cannot know this unless it submits itself to consciousness which is the keeper of the records. And when it does the revelations come.
428 それが聖典が、わたくしをおいて偽りの神があってはならない(訳注:365参照)、と言う理由です。何故なら、あらゆる形有るものはそれが人であれ、何であれ、多くの体験を経ており、多くの変化を遂げて来ているからです。もし、私達が生命を永遠なるものであることを受け入れるなら、私達が未来の中へ前方を見るのと同様に過去にも多くの永遠があることになります。それがイエスが、もし私がこの世界の者であれがその為に戦うでしょうが、私はこの世界の者ではないのです、と言った理由です。もし、イエスがこの世界に来たとするなら、私達全員もどこからか来たこととするのは論理的ではないでしょうか。イエスはこれを父の家には多くの館があると平易に説明しました。しかし、結果である人間の心はそれら記憶の保持者である意識に自身を委ねない限り、これを知ることは出来ません。そしてそれが行われる時、啓示がやって来るのです。



【解説】
次の段階として私達が向き合うべきことは各自の過去生にも遡る経験です。他者に自らの生き方を委ねることなく、自らしっかりと過去生にも遡る人生の歩みを振り返って、自分の歩みを整理し、総括することではないでしょうか。
最近言われるようになった"終活"は各自のこれまでの歩みを整理し、次なる人生に備えるという意味を持っているように思います。部屋に溜まってしまった書類その他の諸物を整理し、真に必要なものとそうでないものとを仕分けて身軽になる作業は、私自身現在行っていますが、それを達成した後は心身共に身軽になった気分ですがすがしいものです。
そうした作業を通じて、自分の生まれてから今日までを振り返る中で、人生という時間感覚を掴めたような気がします。人の一生の中で何を学び何を努力して来たのかを明確にして置けば、その記憶は次なる人生に役立つこと間違いありません。


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