265 Consciousness is the father and the mother of all form creation which conceives and gives birth to the various forms. And within it is the blue print or memory which is ever present that can be reviewed for conformation at any time when the need may arise. But the sense mind cannot do this alone, there must be the combination of the two. For as we know, the sense mind learns from effects and now it must understand the cause producing the effect. The effect is the fulfillment of a cause and the sense mind might not execute it exactly as the cause mind intended it to be, so through misinterpretation a mistake could take place. And this is where the Law Of Grace enters and through this law the sense mind has a chance to realize and correct its mistake. And corrected it must be before progress can be made. And it must be made in behalf of consciousness and not the sense mind. In this way the sense mind is made to do what the better self wants it to do. If this is not done a slight memory might remain but it will be distorted.
265 意識は受胎し様々な形有るものに誕生を授ける全ての形有るものの創造の父であり母です。そしてその中には必要が生じた時に何時でも一致するか吟味できるよう常に出して置かれる青写真もしくは記憶が入っています。しかし、感覚心はこれを一人では出来ません。二者の組合せが必要なのです。何故なら、ご存知のように感覚心は結果から学ぶ者ですが、今や、その結果をつくり出している因を理解しなければならないからです。結果は一つの因の成就です。感覚心は因の心が意図したようには実行しないかも知れません。そこに誤った解釈を通じて間違いが生じるのです。そしてそこに恩寵の法則が入り、この法則を通じて感覚心はその誤りに気付いて改める機会を得るのです。そして進化を遂げるにはその修正を終えていなければなりません。また、その修正は意識の為に行われなければならず、感覚心の為に成されるべきではありません。このようにして感覚心はそのより良い自己が願うことを為すように仕向けられるのです。これがなされなければ、わずかな記憶が残ったにしてもいずれは歪められて行くことでしょう。
【解説】
私達の人体を含めあらゆる創造物の由来は「意識」にあると、本項では大変重要な事項を述べています。つまり、私達自身の行動を含めて全ての活動は意識の持つイメージや青写真を表現したものであるということです。
その「意識」が私達内部に常に宿っているとすることは、重要なポイントだと言えるでしょう。私達はその意識から来るインスピレーションを表現する任務と役割を持っているという訳です。実はその過程で私達は意識の持つ記憶を参照し、知識を得ることが出来るという訳です。
もちろんインスピレーションや印象の感受において未熟な私達は多くの場合、その本来の内容を表現し切れませんが、その際にそれが誤っていると指摘し、修正を支援して呉れるのも意識の働きだという訳です。
宇宙に関する全ての知性が私達各人に本来備わっていることを考えれば、畏れ多いという一言に尽きます。
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