ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落198 [2017-07-04]


198 Even though great distances exist between planets and there is no established communication with them, this does not prevent one from knowing what is going on upon them. But to do this the mind must be trained to listen and be taught by the conscious messengers, without questioning the impressions while they are being given. Some will come in the form of thoughts and some with thoughts and pictures.
198 惑星間に長い距離が存在し、相互に確立された通信手段が無くても、それは人がそれら惑星上で何が起っているのかを知ることを妨げるものではありません。しかし、これを為すには心は与えられている間、その印象類に疑問を挟むこと無く、意識の伝達人に耳を傾け教えを受けるよう訓練されなければなりません。それらの内、あるものは考えとして、またあるものは考えと画像の形でやって来ることでしょう。



【解説】
遠く離れた者同士が相手の状況を分かり合えることはよくあることです。また、重大な発見や発明が同時期に起こることもよく知られています。実はこれらは私達の中には距離に関わりなく印象を互いに感受できたことに由来するものと思われます。私達はこれまで知らず知らずの内に印象を感受し、活用したことがあるということでしょう。
距離に関わり無く印象が届くことは、印象はいわゆる四次元世界に属し、三次元世界の制約を受けないことを意味します。近くに居ても別の印象世界にアクセスする者も多いことでしょう。しかし、師弟や兄弟、夫婦等、強い結びつきは転生後も記憶は継承され、各自の中に留まることでしょう。その者が転生後、長年月経過して互いに再び出会う時、初対面であっても何か惹かれる印象を持つのは、互いの過去の結びつきに由来するのかも知れません。
仏陀が涅槃に向かうにあたって、仏像が造られたとされていますが、師を慕う弟子達はひたすら師の面影を求めて仏像を拝したものと思われます。仏像は物理的には木は銅の塊ですが、その示すところは遠く離れた仏国土(惑星)に転生された仏陀との印象を通じた日々の交流を求めることに由来しているものと思います。


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