ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落190 [2017-06-21]


190 Jesus for one tried to explain the fourth dimension, but even today his teachings are not understood. As a result the fourth dimension has been placed in the abstract side of life with the hope that it will be understood in the here-after. But how could one ever understand if he did not have some comprehension of it here? One must learn the next step to be taken before he can understand the reason for it.
190 一例として言えば、イエスはこの四次元を説明しようと努力しましたが、今日になってもその教えは理解されていません。その結果、四次元は今後理解されるだろうとする希望と共に生命の抽象的な側に置かれて来てしまいました。しかし、人がそれを今ここで何らかの会得をしない限り、これから先どのようにして理解できるというのでしょうか。人は進むべき次の一歩を学ぶべきで、その理由は後になって理解出来るのです。




【解説】
イエスも仏陀も私達に四次元世界について説こうとしていたと本項は指摘しています。目に見え手に触れることが出来る三次元世界にあっても、その思考は四次元世界に広げられることを、これらの師は身を持って私達に示されたということでしょう。
私達の進むべき道は従前の物質世界の探求ではないと著者は本項で示唆しています。その上で何故それらが必要かは、意識や想念の働きを学ぶ中で自ずと理解されると諭しているのです。
その為に私達は創造主がどのような存在であり、私達とどのような関係にあるか等、自ら探求する必要があります。これら探求の道は各自のものです。他の者が力を与える訳には行きません。自ら体験し実践する中で少しずつ理解が深まるというものです。達成出来たこの状況を仏教では悟りと言いますが、仏陀がそうであったように、その到達には長い年月の努力が必要です。目の前の現実の中で如何にして見えない世界を意識し、与えられるインスピレーションに従順になれるかがカギとなるものと思われます。



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