ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落175 [2017-05-31]


175 If we are to know what we feel that we should - who we are - and what we have been, then we must use the same method that they have used. There is one thing that we must remember, we cannot judge and divide and discriminate, or resent, according to likes and dislikes and have this knowledge. For once you get impressions coming from the memory buds there will be all kinds. And some you will have a tendency to dislike or even be frightened by them. For remember here on earth there are very low stages of life's manifestation that the ego might not like. But without these manifestations life would not be complete, for all phases are necessary. But once they are understood the judgement against them ceases. Like a drama on the stage where cruelty is resented, yet without it the phases of life would not be truly expressed.
175 もし私達が知るべきだと感じている私達が誰で、また何であったかを知る為には彼等が用いて来たのと同じ方法を用いなければなりません。ここで覚えておかなければならないことは、私達はこの知識を持った上で、好き嫌いによって裁いたり、分割したり、差別したり、腹をたててはならないということです。何故なら、ひとたび記憶の芽からやって来る印象類を捕捉するや、あらゆる種類のものがやって来ます。そしてあるものについては、あなたは嫌う傾向になるでしょうし、恐怖すら覚えることでしょう。何故なら、地球ではエゴが好まないようなとても低い段階の生命の現れがあるからです。しかし、これらの現れが無くては生命は完全にはなりません。全ての側面が必要なのです。しかし、一度それらが理解されれば、それらに対する裁きの気持は消えてしまいます。残忍さに憤りが湧く舞台の上の劇のように、それがなければ生命の側面が真に現されているとは言えないのです。



【解説】
自分が誰で、これまでどのような生き方をして来たのか、その全ての記憶はこれら意識を通じて物質(原子・分子)の中の記憶を探ることで分かるようになる訳です。しかし、最初はそれらの知見は私達の心が目を背けるような側面もあると本項は指摘しています。創造の過程ではある意味、残虐とも受け取れる要素があるという訳です。
その上であらゆる要素をありのまま受け入れ、全体を観ることで私達は人知の及ばない創造主の意図や仕組みを学ぶことになります。その際、心による勝手な裁きを行ってはならないのです。
もちろん各人がこれまで歩んで来た中には、必ずしも良い人間でなく罪深い生き方もして来ている筈で、それらの記憶にも向き合うことも必要でしょう。各自の過去の様々な人生に気付くことも反省材料には有用かと思うものです。清濁あわせて飲み込んだ上で、人本来の進むべき道を示すことが必要だと著者は説いているように思います。


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