ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落057 [2016-11-17]


057 A child in a classroom is a good example. A good student follows the instructions of the teacher without having any opinions of his own during the time that the lessons are being given. After this he tests the information given to see if it is correct and where it fits into his own life. While another student will speculate on what a teacher is going to say, thereby he is ahead of what is being said. And he misses important points and has no clear knowledge of the subject. The first student profits from the instructions. The second one does not. In the case of the attentive student he humbled his mind to listen, but the second one became aggressive and lost the valuable points.
057 教室にいる子供が良い例です。良い生徒は教科が教えられている間は如何なる自分の意見を持つことなく、教師の教えに従います。その後、生徒はその与えられた情報が正しいか、そして自分の生活の何処に当てはまるかを知る為、確かめます。一方、もう一人の生徒は先生が何を話そうとしているかについて思いを巡らし、話されていることの先に行っています。彼は重要な要点を見逃し、本題に関する明瞭な知識を得ることがありません。最初の生徒は教えから利益を得ましたが、次ぎの生徒は得られません。傾聴した生徒の場合は、自分の心を謙虚にして聞こうとしたのですが、次ぎの生徒は攻撃的になり、価値ある要点を失ったのです。



【解説】
この目に見えない私達の指導者に対して、どのように対処したらよいか、本項は学校の授業を例に私達に説いています。
何かを教えてもらう場合、教師を信頼することが第一であり、先ずは教師の伝えることを受け入れる姿勢が重要です。次々に教えられる事柄に対して、疑念を持つ態度は心自体がその疑念に対する思考が回転し、手一杯になってしまう為、それ以降の教師の話が耳に入りません。その結果、教師が伝えたかった主旨がその生徒には十分伝わらないことになります。
私達はこれから探究しようとする"因"に対しては常に生徒であることを忘れてななりません。教師である"因"から想念・印象によって教えが授けられる際には、私達は謹んでその印象を拝受し、自らの生活全般に活用すべきな訳です。
これは実は容易なことではなく、自分自身を因に対して常に謙虚に保ち、信頼する態度が必要です。教室において生徒が教師を信頼することに似ています。また教師の方も理解している生徒か否かということは良く分かるものです。"創造主から愛される"という表現がありますが、それも本事例における教室で素直に学習に取り組む生徒を指すものと思われます。


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