ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落056 [2016-11-16]


056 DISCIPLINE OF THE SENSES

How is one to discipline the senses? The sense of sight which guides itself by effects, as it is an effect of consciousness, seldom takes the time to study the cause back of what it sees. And by now if you have learned the first lesson well, there should be a desire to know the purpose for which each form has been created. And this can be revealed to the mind when an effect is viewed with the second sight, so to speak, or with the sight of consciousness. And as stated before single sighted.
056 諸感覚の鍛錬
諸感覚を鍛錬することとはどのようなことを言うのでしょう? 結果によって自身を導く視覚は、意識の結果の一つであるため、めったに自分が見るものの背後の因をじっくり学ぼうとはしません。そしてこれまで、もしあなたが第1課をよく学んでいたら、個々の形有るものが創造された目的を知りたいという願いが湧き起るはずです。そして、これが結果がいわゆる第二の視覚、言い換えれば意識の視覚で見られる時、心に明らかにされるのです。こうしてこれまで述べたように一つの視覚になるのです。



【解説】
大事なのは日常の私達の感覚が如何に目に見えない因の存在に関心を持ち、因を知ろうとするかにあります。あらゆる事例の真の解決策は従来の私達自身の心の思考などでは得られる筈もありません。新しい発見は常にその因から来る無言の印象から与えられる訳で、それら想念・印象に気付くようにならなければ、問題解決は難しいと言えるのです。
この場合、重要と思われる点は、身の回りのあらゆる存在物に対して、その由来や背景、創造された目的等、今日までの長い年月の中での歩みやそのものの果たして来た機能を知ろうとする気持ちであり、感覚を鍛錬する必要があると本項は説いています。
先ずは物事への関心からということでしょう。観察が大事という真の意味でもあります。仏典では"観世音"とか"観音"という言葉がありますが、世の中を見る時、想念・印象の波である目には見えない"音"を"観る"とは言い得た表現ではないでしょうか。


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