ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落050 [2016-11-08]


050 Jesus said a double minded man is unsuitable in all of his ways. And it is double minded when one sense likes something and the other does not. So Jesus urged man to be single minded in all of his ways. In other words unite all four senses for the purpose of service and not judgment. And this can only be done by conscious guidance. For in consciousness there are no likes or dislikes, it understands the purpose for all manifestation but the mind does not. All manifestations are conceived in consciousness and born into the world of effects. Just as the mind was conceived in consciousness and born as an effect of that conception. This is why it is so easy for the mind to guide itself by effects. And not having the knowledge and the reason for all of the effects it passes judgment in either likes or dislikes.
050 イエスは二心ある者は全ての道において不向きだと言いました。そしてひとつの感覚がある物を好み、他の感覚が好まない時、二心となるのです。それゆえ、イエスは人に全ての道において心一つになるように求めたのです。言い換えれば、裁きではなく、奉仕の目的の為に4つの感覚を統合せよということです。そしてこれは意識の導きによってのみ為され得るのです。何故なら、意識の中では好きとか嫌いとかが無く、全ての創造物(注:manifestation)にとっての目的を理解していますが、心はそうではないからです。全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます。丁度、心が意識の中ではらまれ、その結果として生まれるのと同様です。これが心が自分を結果によって導くことをそのように容易になる理由です。そして心は結果物の全てについての知識や理由を知らないが故に、好き嫌いの判定を下しているのです。



【解説】
私達自身もこれまでの経験から、やはり邪念を排除して誠実に事に当たる時に問題の解決策に辿りつくことを知っています。また、仕事の出来る者は集中して問題解決に当たりますし、これらは本項で説く内容とも一致しています。そこには心の迷いがありません。
良い例が運動競技の例であり、記録を出すほどの競技者は皆、迷いの無い心境が不可欠であることをよく分かっているのではないかと思われます。先ずは自分自身を一つにしなければなりません。その方向は私達の存在意義に沿ったものであるべきです。
私達自身が何処から来たのかについては本文では平易に記されています。実際、私達はもっと真剣にこのことについて考え直さなければいけないと思っています。そもそも自分が何を託されてこの世に生まれ来たのか、その創造主の御心を拝察することは、生命を与えられた者として最低限の義務であると思うからです。本文では"全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます"とあります。私達は結果の世界で迷う以前に、本来の意識の世界についてもっと関心を持ち、知ろうとすることが必要です。



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