ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落036 [2016-10-18]


036 What is consciousness ? No one definitely knows except that it is a life force that is the creator of all forms. For without consciousness man would not be a living being. And in man the best way that we can describe it is -- a state of alertness. And a state of alertness is a state of feeling or awareness. In the animal it is known as instinct which does not have to depend upon sound. The language of consciousness is the language of the Creator that one feels when he becomes conscious of things not yet experienced. Jesus expressed it in these words -- Blessed are those who see and hear not yet believe. For they shall enter the Kingdom of Heaven. And the kingdom of heaven was used in reference to the realm of Cause, a sea of consciousness or everlasting life. For consciousness proceeds all manifestation.
036 意識とは何でしょう?誰一人、それが全ての形有るものの創造主である生命力であるということ以外、明確には知ってはいません。何故なら意識無くしては、人は生き物とはならないだろうからです。そして人間においてはそれを最も適切に表現するとすれば、それは警戒の状態ということができるでしょう。そして警戒の状態というのは印象もしくは気付きの状態です。動物においてはそれは音声に頼らない本能として知られています。意識の言語は未だ体験していない物事について意識的になる時に感じる創造主の言語なのです。イエスはそれをこのような言葉で表現しました。「見もせず、聞きもしないのに信ずる者は幸いなり。何故なら彼等は天の王国に入るだろうからである。」そしてこの天の王国とは因の領域、即ち意識の海、永続する生命について用いられたのでした。何故なら意識は全ての創造の現れに先立つからです。



【解説】
本講座の中で最も重要な点を指摘しているのが、本項ではないかと思っています。即ち私達は自分自身の「心」については自分の分身として、また訓練すべき対象として理解出来ますが、この沈黙の生命力である「意識」については容易には認識出来ないでいます。しかし人体の実態は時々刻々その作用に全てを委ねている訳です。
この意識なるものの存在に本来、精力を傾けなければならないことは明らかです。座禅その他の修行もまさにそれを知覚する為の訓練に他なりません。私達は自身を掘り下げて探求する中で自ずとこの意識なるものに到達するものと思われます。
しかしその探求は決して外に向けてのものであってはなりません。他の世界ではなく自らの中に本来備わっている生命力は自らの中に見出される筈のものです。私達は自己を研鑽し、自我を削り取ると同時に内部から光り輝くものが現れるようになることでしょう。自我(エゴ)が小さくなるにつれて意識の輝きが増して来るという具合です。


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