ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落026 [2016-10-03]


026 The average human is a mentalist governed by the ego which is itself an effect of the cause. And as the mind is the process of learning it seeks to guide itself by other material effects and there are many things that it does not understand. And the things that are not understood are feared and disliked. And the things that are pleasing to the senses (or ego mind) are liked. Yet oftimes the likable things become blocks that prevent the individual from progressively learning.
026 普通の人間はそれ自身は因の一つの結果でしかないエゴに支配されている心至上主義者です。そして心は学習の課程にいる為、心は他の物質的結果によって自分を導こうと探し求めますが、心が理解しない多くの事柄があります。そこで、理解されない事柄は恐れられ、嫌われます。また、感覚(或いはエゴの心)を喜ばせるものは好かれるのです。しかも、多くの場合、好まれる物事は進歩的な学習からその者を妨げる障害になるのです。




【解説】
ここでのポイントは、通常私達は「心」を唯一の指揮者として生活していると、その限界について指摘していることにあります。実はこの「心」なるものは、私達が誕生した時から学習の課程にあると本文では表現されています。つまり、毎回の人生における赤ん坊の歩みのように、毎日少しずつ学習の課程にあるという訳です。
当然、何も分からないところからスタートする訳で、自らの足の運び方から、自分の肉体の制御について習得して行くことになります。また数々の失敗を経験し、痛い目に遭いながら幼年期を過ごし、長い時間を掛けて成人に達するというのが私達地球人の歩みということになります。
そこには周囲の影響も受けます。自分が経験した事柄を長らく心に記憶として留めるということもあるでしょう。しかし、それらの全ては起こってしまった「結果」や具体的な事物に結び付けられ、本人の心の拠り所ともなっています。
しかし、よく考えると、本来、私達はこのような過去の経験や失敗事例に執着する必要はなく、もっと開放的な心境、移ろい易い"結果"でなく、その源流にある"因"に目を向ける必要があると思います。私達が結果に囚われていると、実はその結果は将来ともに有効になる経験にはなり得ず、確固たる拠り所になるものではないと説く、仏陀の教えを思い出します。
この心が執着しやすい性格であることをよく知った上で、それを解脱し結果に頓着しない生活を送る必要があると説いている訳です。仏陀は生まれた直後に数歩歩いたとされていますが、まさに仏陀の真価を伝える言葉かと思います。


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