ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章 段落220 [2016-07-28]


220 "When the fruit is fully mature it is either picked from the tree, or it drops to the ground - thus it is separated from the parent. If the apple were like man it would exult in its own beauty and free-will, developing the self ego in the world of effects only, forgetful of the Cause parent.
220 「その果実が完全に成熟する時、それは木からもぎ取られるか、地面に落ちることになります。そのように両親から離されます。もしリンゴを人間とするとしたら、それは自らの美しさに有頂天になり、自由意志は自己のエゴを結果の世界のみに発達させて宇宙的な両親を忘れさせることでしょう。」



【解説】
リンゴの場合はその元となったリンゴの木のことは忘れることはない訳ですが、地球人の場合、とりわけ西欧社会では誕生後、自我の発展を望ましいとする幼児教育が行われているのではないでしょうか。自分で物事を選択させ、その結果に責任を持たせるやり方は、子供の頃から自身で決定する生き方を勧めています。
しかし一方で、このことが独善となったり、エゴを高め、自他の区別、更には弱肉強食の世界へと繋がって行くような気がします。全て平等の条件の下でスタートした後は、個人の努力や才覚次第だという訳です。もちろん事業を成功させ、金持ちになる者もありますが、競争社会の下では圧倒的大多数が敗者として人生を終わるものです。
これに対して、先ずは自らの出生の源にある宇宙根源の生命体を畏敬し、ひたすらその指導に従い、自らに託された使命を全うしたいとする心境には、エゴを高める要素は一つもありません。
私達が先ずしなければならないことは、自我を増長させることでも、自我を取り去ることでもない、自らの由来や本来の使命について思いを致すことだと言えるでしょう。


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