ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章 段落209 [2016-07-12]


209 The Triterians had no religion as it is accepted today - they were a race of scientists, for they worked not on supposition or myth but on facts. They had no gods but recognized the all-intelligent force and themselves as expressers of it. They did not make the mistake of allowing their mortal mind to judge the creator for they understood cause and effect. They gave no thought to any division between themselves and the cosmic consciousness; they acted with a freedom and assurance of results. Therefore life was peaceful and harmonious. They were not bound by gods or devils for their only state of awareness was that of
interblended action. They recognized the necessity of duality in creation but they did not separate the force into good and evil.
209 トリテリア人達には、今日認められているような宗教はありませんでした。彼らは科学者の種族であったのです。何故なら、彼らは想像や神話に基づいて働くことはなく、事実に基づいて働いていました。彼らには神がありませんが、全英知を認識し、自分達をその表現者であると自覚していました。彼らは自分達の死すべき心に創造主を裁かせる誤りをさせませんでした。何故なら彼らは因と結果を理解していたからです。彼らは自分自身と宇宙意識の間に如何なる分け隔てをするような想念を持ちませんでした。彼らは自由に、また結果を確信して行動しました。それ故、生命は平穏で調和あるものでした。彼らは神や悪魔に束縛されはしませんでした。彼らの知覚の唯一の状態は融和混合した行動のそれであったからです。彼らは創造における二元性の必要性を認識していましたが、その力を善と悪とに分離することはしなかったのです。



【解説】
今日私達の目指すべき目標が、このトリテリアの人達の生き方であると著者は本項で説いています。
万物に英知を見て、その融合を感じる中に日本の古代文化にある「草木ことごとくよくものいい」とする「神人融合」(「日本文化史序説」(二) 西田直二郎著)の世界は、それに近いものであったと考えます。
トリテリアの社会には宗教は無く、特段の礼拝対象もない訳で、身の回りのもの、目にする全てが「神宿る」ものになっていた筈です。このような社会においては、自然探究が重要な仕事であり、その成果は皆が共有でき、各自の進化に役立ったことでしょう。
重要なのは、一たびこの生活姿勢に基づく生き方が出来れば、その後は安定した進歩の道を歩むことが出来ることです。自我を統制し、調和ある生き方を続けて行ければ、前途洋洋の歩みになることは間違え有りません。自然の中に宇宙を流れる真理を見出し、指導の声に耳を傾けることです。


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