ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章 段落208 [2016-07-11]


208 These master-men were cosmic beings and during the time they spent in gaining their earthly experience they did not once separate themselves from the Totality. They worked with the elements of the earth as men work with them today but they understood the cause of their manifestations. They were sent to this solar system to partake of the knowledge of matter and this they did under the guidance of Cause Intelligence. This was easy for them to do for they were aware of the natural laws governing all action and they were wise enough to use their knowledge without perversion. The Law of Affinity held no mystery for these people and the elements obeyed their commands to the fullest. The earth was a perfect expression of Edenic beauty.
208 これら達人達は宇宙的な存在で、彼らが地球上の体験を得る為に過ごした期間中、彼らは一度として自分達を全体性から分離させたことはありませんでした。彼らは今日の人々が働くように地球の元素とともに働きましたが、彼らはそれら創造物の因を理解していました。彼らは知識にあずかる為、この太陽系に送られ、彼らは因の導きの下、これを行いました。これは彼らにとって容易でした。何故なら、彼らは全ての行動を支配する自然の諸法則について気付いており、彼らは自分達の知識を誤用することなく用いる程に賢明であったからです。その親和の法則は彼らにとって神秘ではなく、これらの諸元素は彼らの命令に完全に従いました。地球はエデンの美しさの完全な表現となっていたのです。



【解説】
本項の内容を読み返して分かったことは、著者アダムスキー氏はこのトリテリア人は聖書で言うエデンの園に暮らしていた人達であったこと、最初に地球に人間が住むようになったケースであったことを示唆していることです。表だって”アダムとイブ”を指している訳ではありませんが、地球上の物質世界の知識を学ぶ為、派遣(移送)された人達であったように思われるのです。
いずれにせよ、創造後、誰ひとり人間が暮らしていなかった処女地にトリテリア人は移住して来たと思われ、彼らの高い精神性とみずみずしい当時の地球環境とはよく融合し、物心両面で理想的なパラダイスが形成されたということでしょう。
その遠い記憶がトリテリア人が去った後もわずかに残され、聖書のエデンの園に繋がって行ったのかも知れません。


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