ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第14章 段落161 [2016-05-03]


161 The idea that one must become strenuous in outward action or must display an appearance of great personal effort in order to accomplish outstanding things is a false belief. The person who reaches the greatest heights of accomplishment is he who holds all of his actions in a serene and peaceful state, recognizing the fact that he is not the instigator or projector of intelligence but only the form through which it flows into manifestation; and the more fully the recipient is cleared for action the greater the action will be.
161 人は顕著な物事を達成する為には、外に向かっての行動に奮闘し、或いは大いなる個人的な努力をしている姿を示さなければならないとする考えは誤った信念です。最高位の達成に行き着いた人は、自らの行動を澄んで平安な状態に維持し、自らを英知の扇動者や計画者としてではなく、自分が創造物に流れ込む形あるものでしかないという事実認識をしている者です。そして受容者が行動の為、より完全に空になればなる程、より大いなる行動が起こることになります。



【解説】
ここでの教え、即ち何故リラクセイションが必要かについて説かれた部分は、浅学の身ですが、何か般若心経等、仏陀の教えの「空」を想起させます。私達は自らの、即ち自我の力量で成し得る事柄は実に大したものではありません。より大切な物事の達成には内なる因から湧き起る印象を体現、実践することによって初めて成されるという訳です。
その為にも、絶えず自分というものを落ち着かせ、印象の到達に気付くことが出来るよう、監視・警戒しておく必要があります。自分の意見で心を満たしてしまっては、それらを受け入れる余裕も無くなるのです。
私達はやって来る印象の表現者であり、楽器のようなものでしょう。楽器自体で音楽を奏でることは出来ませんが、優れた音楽家があやつれば、絶妙な調べが奏でられることになります。
その為には、楽器自体の整備はもちろん必要ですし、いつ演奏家が来ても良いように普段から備えておく必要がある訳です。
「空」という仏教の概念は本章で言うリラクセイションに繋がるように思われます。


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