ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第13章 段落145 [2016-04-08]


145 Some self-acclaimed Truth Centers are using this emotional hypnosis, induced by various methods. Innumerable individuals are testifying to healings but permanent healing or the regeneration of the body must be attained through an understanding of the conditions to be dealt with, and the execution of all actions must be taken in a free and conscious state of will. True faith is not a state of self hypnosis, it is a knowing, a willing of the personal ego will to the guidance of the All Intelligent Cause Will. The Will is the man and if the Will is restricted or held in dominance by another the individual ceases to exist as a thinking, reasoning being. Man must understand the forces of his being and control those forces to bring about the desired effects in his life.
145 幾つかの自称真理センターは、様々な方法で誘導される、この感情催眠を用いています。無数の個々人が癒しについて証言していますが、永続的な癒し或いは肉体の再生は取り扱わるべき条件を理解した中で得られるものであり、全ての行為の実行は自由で意識的な意志状態の中で行われなければなりません。真の信仰は自己催眠の状態ではなく、知っていることであり、個人的な自我の意志が全知の因意志の導きに喜んで従うことです。意志とは人そのものであり、もしその意志が他の者によって制限を受け、或いは支配下に捕捉されるようなことがあれば、その者は考え、推理する存在ではなくなります。人は自分自身の存在の諸々の力を理解し、自分の生涯の中で望ましい結果をもたらすようそれらの力を制御しなければなりません。




【解説】
本人が何らの自覚のないまま、一時的、一方的な施術体験を受けたとしても結局はその状態は長続きすることはなく、そのまま他人の意志に従っていては、本人の意志を弱めるだけのことになりかねません。特定な(宗教)団体に属することは、このような問題もあるという訳です。
もちろん、全ての団体に問題があるとは言いたくないのですが、組織を維持、発展させるには収入源が必要であり、入会者を確保する上から、人集めのイベントが求められることになります。
しかし、一方で真の求道者は他人の助けを借りずに、自ら沈想、探求して真理を自覚しようと努めます。丁度、仏陀が竹林で瞑想したように、大自然の中に真理・法則を自覚しようと探求を続けたようにです。原始仏教ではそれを「サイの角(つの)」のように一途に行うことだと教えています。本文で言う自らの意志で道を求める作業がそこにあります。
本来、この種の修行は自分自身の中に備わっている宇宙的要素を発見し、それに親しむためのもので、先の本文にあったように「自分の手足より近い場所」にその捜し求めるものがあることを悟ることが究極の目的でもあります。遠くを求める必要はなく、自身の中に捜し求めるものがあるということです。


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