ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第13章 段落144 [2016-04-07]


144 Did you ever attend a camp-meeting where the participants threw themselves into such a high emotional state that they were finally hypnotized into performing things they could never have done when in a normal state of consciousness? After coming out of this emotional spell they were asked if they knew what they had done and the answer would be a negative one. All that they were conscious of was the fact that the Holy Spirit had them under control. This proves that they were under an imposed influence which deprived them of their power of reasoning and will.
144 貴方はこれまで、参加者達が、このような激しい感情状態に陥った結果、最終的には催眠状態にかかり、正常な意識状態では出来ないような事柄を成し遂げるような野外集会に参加したことはありますか。この感情の魔法から抜け出した後、彼らは自分達が何を成したかを訊かれますと、否と回答するでしょう。彼らが意識していたことの全ては、聖なる魂が自分達を統率していたという事実だけです。このことは彼らが自分達から推論と意志の力を奪った、ある押し付けられた影響力の下にあったことを示しています。




【解説】
本章に入ってから、何故著者は「自己催眠か自由意志か」という命題について、章を改めて説く必要があったのかについて考えて来ました。その結果、辿りついたのは以下の結論でした。
即ち、私達の発達の過程としては、まず自己の問題提起として自我の専制問題があり、想念の発動結果として感情の暴走というものがあります。それへの対処として心を受容的な姿勢に改変し、想念・印象を感受出来るよう改める訳ですが、外部からの印象を無制限に受け入れることにも問題があるということです。
つまり、邪悪な者達が多く棲む地球においては、他人を支配し、隷属させようとする者も多く、本来道を求める者に対しても、餌食にしようとする者がいます。一見、もっともらしい主張をしていても、その中身は醜い団体も多いのです。そのような現状の中では、しっかり自立し、自らの判断で良否を見極める必要がある訳で、あらゆるものを一律に受容する態度は良くないということでしょう。他者の言いなりになることは危険でもあるのです。
従って、全ては自らの責任において自由な意思で行われ、自分の力で印象・想念を監視し適切なものを受け入れる覚悟がどうしても必要ということになります。自分で結果を味わい、次に応用することが重要なのです。


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