141 Religion and so-called spiritual teachings have not, in most cases, brought true realization to the heart of humanity. Some of these organizations practice rituals and affirmations which produce a temporary intoxication during the performance of the rites but tend towards a tremendous "let down" after the service has been completed. Most of the individuals attending, upon returning to their worldly pursuits revert to the old ways where the survival of the fittest attitude takes over, and man continues to take advantage of his brother instead of being his brother's keeper. In the religious sanctuary the individual feels that he would help anyone according to their needs and where hate had been, there arises an emotion that is interpreted as love, but outside of the sanctuary these emotional influences change, which proves that they were nothing more or less than a form of hypnosis induced by the service that he attended.
141 宗教そしていわゆる精神主義的教えは、ほとんどの場合、人間の心の底に真の悟りをもたらしては来ませんでした。これらの組織のいくつかでは、その間だけの一時的な陶酔を作り出す儀式や宣誓を実施しますが、その礼拝が完了した後は、とてつもない「落ち込み」をもたらす傾向があります。出席している個々人のほとんどは、それぞれの世俗的追求の場に戻るや、適者生存の原理が支配する昔ながらの方式に復帰してしまい、人は自分の兄弟の後見人になる代わりに自分の兄弟を利用し続けるのです。宗教的な聖域の中では各自は必要があれば誰をも助けようと感じ、憎しみがあった所でも愛と解釈される感情が湧き起こるのですが、その聖域の外側ではこれら感情の影響は変わってしまい、自分が出席した礼拝によって誘引された催眠の形態以上の何物でもなかったことを立証するのです。
【解説】
これまで自己の改革にどれほど宗教や精神主義(スピリチュアル)が役立っているかについて、著者は私達に問い掛けています。もちろん多くの人がその分野での学習を経て目覚めて行った訳ですが、依然として大多数の者は益にもならない宗教やスピリチュアルと未だに係っていることにも注意したいものです。
実は先日、東ヨーロッパに友人と旅行に行って来たところです。街並みは古くはローマ帝国の時代に遡る建造物からはじまり、最も栄えた18世紀19世紀の建物の中に現在も多くの人々の暮らしがありました。中でも中心となすのが協会であり、大聖堂が君臨しています。そこで宗教指導者が全てを取り仕切る社会が存在していた訳です。人々は日々の祈りを教会の中で捧げる一方、日々の商売に従事する姿は基本的に今も変わりありません。
しかし、本項では教会の中、あるいはセレモニーの中で一時的に光悦感で満たされたとしても、日常生活の中に何らの反映が無ければ意味は薄いと指摘しています。つまりは、専門家集団(教団)に委ねることを止めて、自らの探究心や感性を拠り所として、身辺を流れる宇宙的波動を取り入れ、自らの暮らしに役立てる努力こそ、重要だということです。
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