ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第10章 段落115 [2016-02-18]


115 Why do we have perfect confidence that the sun will rise each day? Have you ever known a man rising each morning, hours before dawn, to sit wringing his hands in tense anxiety over the prospect of eternal darkness? No, we have no such fear, and the primal reason that we do not doubt in this case is because the action of the suns and planets is greater than our mortal mind can conceive and therefore we leave such actions entirely in the hands of the All-Knowing Principle which understands and perpetrates all action. In this case we realize our personal insufficiency and so do not concern ourselves by exerting mortal effort in regard to it. We simply allow it to take place.
115 何故、私達は毎日太陽が昇って来ると完璧に確信して来ているのでしょうか。貴方はこれまで毎朝起きては夜明け前に永久に闇が続くことを恐れる余り、両手を握り締めて座すような人を知っていますか。いいえ、私達にそのような恐れはありません。また、このような場合に私達が疑いを持たない主な理由は、諸太陽や諸惑星の行動は私達の死すべき心が計り知りえるより偉大であり、それ故、私達はこれらの行動を全ての活動を理解し、それを為す全知の法則の手に完全に委ねているからです。この場合、私達は個人的な力量不足を自覚し、その為、それに対して死すべき者の努力を行使して自分自身を係らせようとはしないのです。私達は素直に起こるに任せているのです。



【解説】
前項(114)でゾロアスターの言葉で"faith"(信仰)の度合いが表現されていた訳ですが、実際、私達自身、どのような者でも持っている"faith"の例を本項は示しています。毎日昇る太陽への信頼です。
毎朝夜明け前、鳥達はじっと東の水平線に向かって日が昇るのを待っていますが、それは全ての生命活動の源として太陽を来迎する姿勢、一日の始まりを待つ姿勢かと思われます。また、決して太陽の出現有無を心配する姿ではない筈です。
一方、私達の日常はこれら太陽の動き等、あまり関心を持つことなく、当たり前の自然現象として感謝の気持ちすらありません。それはそれで大いに問題とすべきでしょう。本文では毎朝の日昇に対するこれら私達の姿勢について、もちろん良しとしている訳ではなく、これら太陽や惑星の運行が私達の心など影響されない強大な宇宙の活動であることを説いています。また私達自身もそのような事項に対して自分ではどうすることも出来ない為、全てを宇宙に委ねているとしています。
これら私達が宇宙に委ねると表現する訳ですが、その背景には単に無頓着な状況と私達生命を支えて呉れる日常的な惑星運行に感謝する中で、”因”に自らも含め委ねることの間には、大きなひらきがあることに気付く必要があると言わなければなりません。


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