ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第10章 段落111 [2016-02-12]


111 How often quoted is the expression of the Christ, "If ye have faith as a grain of mustard seed ye shall say to this mountain, remove hence to yonder place, and it shall remove; and nothing shall be impossible to you." (Matthew 17:20) This statement has been used to show how little faith is necessary to bring forth manifestation. Notice, however, that the words are not "faith as great as a grain of mustard seed" but "faith as a grain of mustard seed." Not the quantity of faith but the quality of faith is called to note in this statement. Let us study the consciousness of the mustard seed. Is it ever overcome with fear in regard to its personal existence? What causes it to grow? Is it not the conscious impulse force within it which promotes it into action? The seed knows nothing but this urge within itself which causes it to expand, burst its shell and proceed upward into the light. It does not seek to resist this force of natural growth nor does it wonder if it is right to act in this manner. It acts unquestioningly according to the law or principle of its purpose. It does not look to effects - neither to man, to earth, water, or sun. It expands into a mature bush because the forces within it command it into such growth.
111 これまで何回、キリストのこの表現が引用されたことでしょう。「もし、汝に一粒のカラシ種ほどの信仰があれば、この山に対し、ここからあそこの場所に移れと言えば、その山は移るであろう。貴方に不可能だというものはない。」(マタイ17:20)。この表現は創造作用をもたらすのに、如何に小さな信仰が必要なだけであるかを示すため、用いられて来ました。しかし、それらの言葉は「カラシ種一粒の大きさの信仰」ではなく、「一粒のカラシ種ほどの信仰」としているのです。信仰の量ではなく信仰の質がこの声明の中で求められていることに注意して欲しいのです。カラシの種の意識を研究して見ましょう。それはその個人的な存在に関して恐怖に打ち負かされているということはないのです。何がそれを成長させるのでしょうか。それを行動に突き動かすのはその種の中の意識的衝動ではないでしょうか。種は自分の中にあるこの衝動しか知っておらず、それが膨張し、殻を弾けさせ、光に向かって上方に進み出します。それは成長のこの力に抵抗しようとはせず、またこのように行動することが正しいかどうか迷うことはありません。それは法則あるいはその目的の為の原理に沿って、疑問を持つことなく行動します。それは人間、地面、水や太陽に対する影響を見てはいません。内部の諸々の力がそのような成長を命じる故に、成長した茂みになるのです。



【解説】
イエスの「一粒のカラシ種の信仰」の言葉を通じて、"faith"(信仰)の持つ力とカラシ種が持つ"faith"(信仰)について、本項は明瞭に示しています。
アダムスキー氏は多くの著作の中でイエスの言葉を引用し、これまでに無い解説を加える事例が多いのですが、それにはかつてイエスの弟子の一人であった彼の実体験、即ちイエスがその言葉を発した場面に居た体験があるように、最近、私は思うようになりました。
さて、植物の種という結果を見れば、特にカラシの種等は大変小さく、その中身に何が秘められているのかは、私達の目では捉え切れません。同様に人間の卵子その他も同様にミクロの大きさではありますが、実はその内部に持つ遺伝情報は膨大なものがあり、適切な環境が維持されれば、各々立派な創造物になることは、皆様お分かりの事実です。
本項で、著者が解説するイエスのカラシ種の話は、種の中にある"faith"(信仰)が如何に力のあるものかを表現したものと思われます。ひとたび環境が整えば、何ら躊躇することなく、殻を破って芽を出し、成長する種の発芽には力強さがあります。今日、スプラウト野菜が人気なのは、その「生命力の発現」を私達にも取り込みたいということにあります。
日常の私達がどれほどその生命力に近づけるかは不明ですが、植物の種一粒から私達は多くの事柄を学ぶことが出来ます。


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