ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第10章 段落110 [2016-02-11]


110 If we analyze fear we will find it to be produced by a state of wondering in regard to our support and safety. In most every case fear is focalized about one's personal being or self-interest. Most men look upon the activities of life in the light of the effect that they will have upon themselves and those dear to them. They are living in the consciousness of the effective world, depending upon outer things for their support, and the recognition of the instability of outer effects produces a condition of uncertainty within their own minds. We may say then, that fear is the self-centered state and faith is living the impersonal state of being. Fear is based on effects; faith is based on Principle or Cause.
110 もし私達が恐怖を分析すれば、私達はそれが私達への支持と安全に関する不安状態によって作り出されることを発見するでしょう。ほとんどの場合、恐怖は自分の個人的な存在か自身の関心に焦点が当てられています。ほとんどの人達は、それらが自分自身や自分達にとって大切なものに与える影響という光で人生の活動を見ています。彼らは結果の世界の意識で生きており、自分達の支えを外側の物事に頼り、外側の結果物の不安定さの認識が心の中に不安定な状況を作り出しています。ですから私達は恐怖とは自己中心の状況であり、信仰とは非個人的な状態と言うことが出来ます。恐怖は結果に基づくものであり、信仰は法則、即ち因によっているのです。



【解説】
そもそも何故、恐怖が私達を支配して来たのか、本項は明瞭に述べているのではないでしょうか。答えは本文の最後に示されているように"faith"が宇宙を流れる原理・原則に根拠を置いているのに対し、恐怖は現実世界、結果の世界を拠り所としている点に集約されます。
これまで多くの仏教の教えからも、「行く川の流れは絶えずして.....」の表現にあるように、結果の世界は常に変化する過程にあり、「無常」と言わねばなりません。そのいわば不安定とも言えるものに拠り所を置くとすれば、心配事に尽きることはありません。
そうした中で、私達は長年、この不安定な結果の世界を生きて来た訳ですから、年を重ねるにつれて、ストレスや疲労で身体は酷使され老化も早まるものと思われます。それに対して、不変原理に常に視点を置いて人生を歩むことで確実に目的地に到達出来るというものでしょう。丁度、昔の航海では北極星を目印として自身の進む方向を定めることに似ています。


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