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Let us, therefore, analyze the sense man. You have believed that man is endowed with five avenues of expression - sight, hearing, taste, smell and feeling. Each of these attributes is supposed to have the ability to act independently of the others. We can close our eyes and hear, taste and smell. It is possible to decipher between sweet and sour without hearing, smelling or seeing the object in question. We can certainly tell the difference between a bit of garlic and a rose without using the sense of sight, sound or taste. So it is possible to prove that four of our senses do work independently of each other. But now let s remove that which is known as the fifth sense; let us deprive man of feeling. What is the immediate result? The result is a state of unconsciousness; the four other senses are ceased to function, even though the organs of sense themselves, are still existing in the body. The eyes, nose, palate and ears are uninjured yet they do not see, smell, taste or hear. Apparently these senses cannot, then, work independently of feeling. Does this not prove that feeling is not a sense, but the conscious power which gives sensation to the senses?
090 それ故、感覚人間を分析して見ましょう。貴方は人が5つの表現の大通りを授けられていると信じて来ました。視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚です。これらの属性の一つ一つは他と独立して作用する能力を有しているように思われます。私達は目を閉じて聴くことや味わうこと、香りを嗅ぐことが出来ます。問題の対象物の音が聞こえなくても、臭いが嗅げなくても或いは見えなくても甘いとすっぱいの味の違いを判読することは出来ます。私達は確かにニンニクの小片とバラの違いを視覚や音や味の感覚を用いずに言い当てることが出来ます。ですから、私達の4つの感覚は互いに独立して働いていることを証明することが出来るのです。しかし、第5番目の感覚として知られているもの(訳注:「触覚」のこと)を取り去って見ましょう。人から触覚を取り除いて見ましょう。直ちにどのような結果になるでしょうか。結果は無意識の状態です。4つの他の感覚は感覚器官自体は依然として肉体に存続していても機能を停止します。目や鼻、舌や耳は傷ついていませんが、それらは見ることも嗅ぐことも味を感じ、聴くことはありません。見たところこれらの感覚は触覚から独立して作用することは出来ないようです。このことは触覚は感覚ではなく、感覚に刺激を与える意識的な力であることを示すものではないでしょうか。
【解説】
視覚や聴覚、味覚と嗅覚についての特徴として、各々に特有の感覚器官というものがあることに改めて気づく方も多いものと思われます。つまりこれら四つの感覚の入口である各器官が機能しなくなれば、私達はその感覚を失うことになる訳です。
しかし、触覚はどうでしょう。それは特段どの身体部分に集中しているということはなく、私達全身を覆っているように思われます。それらの具体的機能としては、各感覚器官の受信信号を伝える神経網という部分もあるでしょうが、むしろ本文に記されているように全身の生命体としての様々な情報の伝達を担っているとも言えるものです。
深く瞑想し、想念・印象を観察する場合にも、実際に機能しているのは視覚から嗅覚までの感覚などではありません。瞑想等を行うことにより身体内外に自らの感知範囲を広げているのは、この触覚の機能であるように思われます。いわば自分の意識を拡大させ、想念・印象を受容出来る態勢をとっているように思われるのです。日本語訳では5番目の感覚を触覚と記していますが、原文ではfeeling(印象感受)とも同じ言葉が使われており、従来の触覚の要素が印象・想念の感覚と密接な関係にあることが分かります。
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