ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第06章 段落077 [2015-12-18]


077 This proves to us then, that mind is not all there is since it can be used one way or another. Evolution is not the expression of mind but the expansion of mind. Just as an ungraded road is broadened and leveled in order to accommodate more traffic upon it, so must the highway of mind be expanded and smoothed in order to allow consciousness to project more numerous vehicles of thought to their proper destination. Mind is only the channel of expression, the avenue by which consciousness manifests itself in matter. Body, mind and consciousness, then, are one and inseparable. The body of matter would cease to exist if it were not supported by consciousness. Consciousness could not express itself in matter were it not for the conveyer over which it travels, and mind would be a useless nothingness were it not acting as a channel between the two.
077 このことは私達に、心というものはそれが様々な方向に使われ得るということから、心の現状が全てではないことを示しています。進化という言葉は心を表現したものではなく、拡張することが心を表すものです。丁度、未だなだらかに整備されていない道路がより多くの交通を収容できるよう拡げられ、平らにされるのと同様に、心のハイウエイは意識がより多くの想念の乗り物をそれらの適切な目的地に向けて抄出させられるよう、拡張し、滑らかにされなければなりません。心は表現のチャンネルに過ぎず、意識が物質にそれ自身を現出させる大道なのです。肉体と心と意識は、それ故一つであり、分離できません。物質からなる肉体は、もし意識による支援がなければ存在は途絶えてしまうでしょう。意識はそれ自身が通る輸送装置がなければ物質の中にそれ自身を表現することは出来ないでしょうし、心が両者の間のチャンネルとして行動しなければ何ら無用のものになることでしょう。



【解説】
結局、私達の生きる目的は本項に示されているように、心の拡張拡大にあるのです。心自体の価値を高めるなどということは意味が無く、先ずは心を平ら(静かに素直)に保ち、あらゆる想念・印象に対して受容できる包容力を持つということです。
これまで私達は自我を高める為に努力して来ましたが、それでは心が自らをおごり高めるばかりで、進化としては逆効果です。一秒間にどれほどの印象を感受できるか、インスピレーションの感度ほど大事なものはありません。これからの人間の価値はそうした印象の感受能力が問われることになります。
実生活にこれら宇宙的印象を活用する中で、次第に心もそうした経験を増し、常に印象を受容する姿勢に変わって行くものと思われます。人生後半に多くの人が芸術分野に目覚めるのもこうした背景があるのかも知れません。いずれにせよ、自己流でなく、常に宇宙と対話しながら生活を進めて行く姿勢が大切ではないかと思われます。
「心が広い」という表現がありますが、真に私達が目指すのは静かでありながら、幅広い印象に対して常にオープンな心の状態であり、多くの仏像がその姿を象徴しているように思います。


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