ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第03章 段落043 [2015-11-02]


043 The Word has never given forth a Name and never shall, for in such act would lose its endless and eternal state of Being. But Man, to whom free-will and power was given, who slumbers deep and dreams his mortal dreams, has in his waking moments labelled action and given name to consciousness and form. His eyes at first were dim with mortal slumber; he saw but vaguely through the mist of sleep, and only felt the coarsest of frequencies that shaped the holy substance into form, but those he named so he might build a memory of parts to guide his future waking states, for only by such means can he evolve to recognition of Cosmic Allness.
043 大いなる言葉は決して名前を発したことはなく、今後もないでしょう。何故ならこのような行動を行なえば、その終わりのない永遠の存在状態を失うことになるからです。しかし、自由意志と力を与えられ、深くまどろみ、自らの死すべき夢を見ている人間は、目覚めている間、行動にラベルを付け、意識そして形あるものに名前を付けて来ました。その目は最初は死すべきまどろみで霞んでおり、人は眠りの霧の中でかすかに見るだけで、形あるものに聖なる物質を形づくった振動の最も粗いものを感じるだけでしたが、自分が名付けたものに対して、人は将来の目覚めに導く役割を持つ記憶の部品を作ります。何故なら、この手段によってのみ、人は宇宙の全体性を認識するよう進化出来るからです。



【解説】
そもそも名称(名前)というものが何の為に必要であったかについて、本項は解き明かしているように思います。つまりは人が物事を記憶する上で役立つ集合的なイメージを代表するのが名称であるという訳です。
私達は一つ一つのものに名称を付けることによって、そのものを記憶しやすく、また互いにイメージを伝達し易くしています。しかし、これらは所詮、音声言語による伝達であり、名称自体もやがては廃れる過程を辿ります。しかし、イメージの本体の姿は永続するのです。
これら一つ一つの名前は以後しばらくは互いにイメージを伝える糧となっています。例えば、日本語には赤青黄色その他のいわゆる原色の他に、様々な色調を表現した言葉があります。これは色彩の各々を古来の日本人が認識し、名前を付けて来たもので、その数は380色以上と言われています。色彩感覚の繊細さを示すものと言えるでしょう。名称はその人が記憶に留めたいとする中で生まれた一つの道具のように思われます。


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