ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落377 [2015-08-10]


377 Jesus used the word Father when speaking to the children of the world, for although He knew there was no word capable of conveying the true meaning of the Supreme, the term Father would give man a feeling of warmth, love, and oneness. And when we awaken this quickening in our minds as did Peter, we are actually entering the Kingdom of Heaven. For the Kingdom of Heaven is the Kingdom of Cause . . . while the kingdom of earth is the kingdom of effect.
377 イエスはこの父という言葉を、この世の子供達に対して語る時のように用いました。何故なら、至上なるものの真の意味を伝えられる言葉は無かったことをイエスは知っていて、父という言葉が人に温かみや愛、そして一体感のフィーリングを授けることを知っていたからです。そして私達がペテロがしたように、この胎動に目覚める時、私達は実際には天の王国に入っているのです。何故なら天の王国は因の王国であり、方や地の王国は結果の王国だからです。



【解説】
聖書にはイエスが「父」と表現する箇所が何度となく出てきます。その意味を著者は本項で述べています。
私達が至上なるものを「父」と呼ぶ時、私達は自らをその子供として、子供の立場から至上なるものに尊敬と依存、更にはいつくしみの心を持っている訳です。
ペテロがイエスの正体を見抜いたのはイエスの肉体としての外観からペテロの目が判断したのではありません。いわばイエスの魂とでも言うべき本源的な存在に対し、ペテロが気付いたからであり、そこにはペテロがその本源から放射される想念・印象を感受し、それらを正しく知覚出来たことに対してイエス自身が祝福したのです。自分の弟子がようやく所期の目標に到達したことを喜んだという訳です。
一旦、ペテロのように世の中のあらゆる存在に対し、至高なるものとの関係を知覚することが出来れば、以降は飛躍的に進化が早まるに違いありません。そのことをイエスはお喜びになったということでしょう。


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