ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落368 [2015-07-28]


368 Other students will grasp one statement that does not coincide with their preconceived ideas, and shut their minds to the rest They will judge this idea according to their own knowledge of the subject, or compare it with some thought possessing a slight similarity. In so doing, they cut off the natural sequence being presented by the lecturer, and at the end of the session they generally find themselves decidedly confused over what has been said. Of course, they lay the blame at the door of the speaker-not to their own mental reactions.
368 他の生徒達は自分達が描いたアイデアと一致しない一つの発言を捉えて、その残りの話に心を閉ざすことでしょう。彼らはそのテーマに関する自分達の知識に従い、このアイデアに対し裁きを行うか、あるいはわずかな類似点を持ついくつかの想念と比較することでしょう。そうすることで、彼らは講師によって提起された自然な一貫性を切断し、授業時間の最後には、彼らは大抵、自分自身が明らかに語られたことに対して混乱していることに気付きます。もちろん、彼らは自分達自身の心の反応に対してではなく、講師のせいにするのです。



【解説】
本項では前項とは異なり、心の詮索好きさがせっかくの印象を拒絶し、印象の伝える全体像を見失ってしまう事例を示しています。
前項(367)同様、授業の例ですが、これも皆様が一度は経験しているものと思われます。つまり教師が述べた一つの事柄がたまたま一人の学生の意に反した、或いは一時的に納得が行かない内容が含まれていたために、本人はそのことで頭がいっぱいになり、その後の授業に身が入らなくなった事例です。
同様に、私達も想念・印象を感受する際、一見、不合理、不可解に思える時があるかも知れません。しかし、そこに囚われていてはそれ以後入って来る印象の流れを堰き止めることとなり、結局は混乱のみが残ることになります。
私達は当座、分からないことは分からないものとして記憶し、先ずは一連の印象の流れを途絶えさせないように心掛ける必要があります。先ずは合わせたチャンネルからどのような解決策が伝えられようとしているか、じっと理解しようとする姿勢が大切なのです。



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