ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落367 [2015-07-27]


367 Another instance of perverted reasoning can be found in a group of students listening to a class lecture. Some will absorb what they hear, and at the end of the session will be able to repeat almost verbatim the material presented. They will recognize the logic and lucidity of the subject, and can summarize all points coherently.
367 もう一つの混乱した推論の例は、教室での授業に耳を傾けている学生の一団の中に見出せます。ある者は自分達が聴いたことを吸収し、授業時間の最後には提示された材料をほとんど語句を暗唱するほどになるでしょう。彼らはその本題の論理と明瞭さを認識し、全ての要点を理路整然と要約することが出来るようになります。



【解説】
本項等で説かれている"reasoning"について、もう一つの具体例を著者は示しています。
本項で記されている事例は、多くの方が学生時代に体験しているものと思われます。本項(367)に記述されている部分は、通常の、或いは妥当な心のありようを示していますが、次項(368)については問題を提起している訳です。
私達が日常、次々に感知する印象は、丁度、本項で示されるような授業のようなものだと著者は示唆している訳です。一度に全ての知識が伝達されるのではなく、ある時間経過の中で次々に情報が与えられるということでしょう。関連して次々に印象が入って来るということです。その一つ一つの情報を、一方では正しいつながりであることを診断しながら、その伝えようとするイメージを大切に取り扱い、受け入れることで、最後には全体像を理解するという訳です。


第3部 4章 段落366 [2015-07-24] <<  |  >> 第3部 4章 段落368 [2015-07-28]