ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落350 [2015-07-01]


350 What was it that enabled me to receive the thought of deception in this particular case? It was not the eyes or ears, for the meeting took place in another city, some distance from me. Was it the brain? No. The brain is merely a transformer and amplifier within the body. While it is true that any vibration striking the body is carried to the brain to be transformed into conscious perception, the actual reception of that vibration does not depend upon the brain, but upon the element of feeling within the nerve plasm of the body. This element is that positive nuclear spark, or soul, of the atoms composing the physical body. So the thought of deception came to me through the feeling channel.
350 この事例で私に策略の想念を受信させたのは何であったのでしょうか。それは目や耳ではありませんでした。何故ならその会合は別の都市、私の所からはかなり離れた場所で行われたからです。それでは頭脳であったでしょうか。いいえ。頭脳は身体の中の変換器や増幅器でしかありません。いかなる振動も頭脳に運ばれ意識的な知覚に変換されることは真実ですが、実際の振動の知覚は頭脳に依存せず、身体の神経原形質の中のフィーリングの要素に依存しています。この要素は肉体を構成しているプラスの核のスパークあるいは魂のことです。ですから策略の想念はそのフィーリングの経路を通じて私にやって来たのです。




【解説】
本項ではより具体的にどのようにして印象が感知され、認識されるようになるかを本講座ではじめて言及しています。即ち、私達が印象を感受するのは目や耳という既存の感覚器官ではありません。しかし、それは何か別次元のような神秘的な感受性でもないという訳です。私達の全身くまなく張り巡らされている神経網がそれら印象を感知し、伝達するものだと説いていることに注目しなければなりません。
人体の神経細胞はいわば全身の見張り役です。通常は細胞の異常や異物の侵入を監視する訳ですが、もっと大きな意義として想念・印象の感知ということがあることになります。
全身に分散した各晨鶏細胞は感知した様々な情報を瞬時に脳に伝達し、その脳で言葉その他の表現に変換されるという訳です。私達がこれまで自らの心を柔軟に保ち、あらゆるものに関心を持つよう勧めて来たのは、全てこの神経細胞の生長に繋がっているのです。


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